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2015年09月12日

旅の終わり【53】

そんな遊んでばかりの私を見兼ねて

「いつまでおる予定?」と姉が聞いてきました。

そんな風に聞かれ、とっさに「もう帰るよ。」と口をついて出ました。

居候の身は相手から煙たがられ始めたら上手くいきません。そんなつもりの無い姉のひと言で横浜へ帰る決心がつきました。

帰る日の未明まで最後のビリヤードに興じ、三浦ちゃんと別れの挨拶をし、再会を誓い神戸を旅立ちました。。

一ヶ月余りの神戸の気ままな生活でした。が、そろそろ仕事がしたくなった頃でした。


横浜のアパートに帰った日、運命の電話が有りました。


そしてその電話から、私の生活がまた動きはじめました。。


  

2015年09月03日

神戸紀行【52】

高校時代に同じ下宿だった三浦ちゃんとは臼杵の街でもよく遊んでました。遊ぶといってもあの頃は、お好み焼きを食べに行ったり、生協にうどんを食べに行ったり、、男子下宿生の遊びは食べる事ぐらいでしたが。

高校を卒業して2年余り

同級生と再会し意気投合となりました。

神戸の食品メーカーに勤務してる三浦ちゃんは、自家用車で明石に近い西神戸まで来てくれました。

その日から神戸の街を西へ東へ三浦ちゃんの車で駆け巡りました。

洋菓子の街神戸には有名なケーキ屋さんも連ねていて、ハイジ、ビゴの店、ふーけ、、、神戸の南京町、商店街、ハーバーランド、、いろんな店や場所に連れてってもらいました。




姉が通ってる大学を訪ね大学生気分を味わったり、

プールバーで夜通しビリヤードをしたり、

六甲山へドライブしながら夜景を観に行ったり、

またある日は伊丹空港へ飛行機の発着を真近に見るスポットへ繰り出したり、、毎日では無いですが、時間を作っては私をいつも三浦ちゃんは連れ出してくれました。高校時代の旧友と再会し、彼もうれしかったようですが、私も心から笑い楽しんだ日々でした。




  

2015年08月28日

神戸へ【51】目的のない旅

サテライトホテル横浜を退社後、神戸へ旅立ちました。

神戸の大学へ通ってる姉のアパートへ転がり込めば、宿泊代は掛からないなと考えての事でした。
神戸の姉のアパートで居候をしながら、、神戸に住んでる高校時代の友人がいた事を思い出しました。

水産高校での下宿生活で、同じ下宿生だった三浦ちゃんはクラスは違うけどなぜか仲良くなりました。

同じ水産高校でも船員さんを育てる漁業科に私は在籍。船のエンジニアを育てる機関科、魚類を調理して加工する水産製造科が有り、三浦ちゃんは水産製造科で卒業後は神戸の食品メーカーに就職していました。

職場のある西宮の寮に住んでる三浦ちゃんに連絡してみると、、喜んでくれて姉のアパートまで会いに来てくれました。





  

2015年08月18日

一身上の都合【50】



サテライトホテル横浜を1月末で退職する事になり、一身上の都合となりました。


ホテル退職後は、ちょっとのんびりする事になりました。本音は直ぐにでも次のお店を探し働きたかったのですが、それはちょっとまずいかなと。

ホテルを退職して直ぐに他店やライバル店などで働くのは御法度でしたね。この業界は意外と狭く、職人同士のネットワークや業者さん同士の横の繋がりも有りますから、、

『今度◯◯に入った職人はサテライトホテルで働いてたらしいよ…。』と直ぐに前の職場に噂が流れたりしますからね。

やはり退社後に直ぐにそんな話が流れると、ねえ。


ちょっとぶらぶらしたり、旅行でもして仕切り直し、ほとぼりが冷めてから行動する事にしました。


新幹線のチケットを購入し、姉が住んでいる神戸へ放浪の旅に出ました。



そう言えば私は子供の頃から


『マサルは放浪癖があるから気をつけんとなぁ…』と母や姉兄弟達が話しているのを聞いたことが有りました。


ほ う ろ う へ き ?


小学生の頃、兄弟四人で歩いて学校へ登校する時、三人は固まって話しながら登校してるそうなんですが、いつも一人だけのんびり道草を食いながら随分離れて歩いてたそうですから。


水産高校を卒業しながら調理師学校に入学したり、

スペイン料理の店に就職しようと思ったら、、やはりフランス料理を目指しホテルに就職したり、、

新入社員で入社したホテルも料理人志望だったのが、ベーカー部門に入り、、1年未満で退社したり、、


ホテルを辞めたらふらっと神戸に遊びに行き、、再就職は決まってないプー太郎の身ですからね。


私的にはその場その時で最良の選択をしてきた事が、今思えば本当に放浪癖があるのかも知れませんね。。