2015年06月22日
卒業 旅立ち【19】
就職先も決まり、
残り最後の学生生活を謳歌する…って訳にはいかなかったですね。
就職先が中区山下町のサテライトホテルなので、今住んでいる泉区緑園都市から入社までに中区に引っ越す事に決めました。近くだと交通費も浮きますしね。
家財道具の購入や引っ越し費用などを捻出する為、スペイン料理のバイトも入れるだけ入れてもらいました。
サテライトホテルからは専門学校が冬休みの間、就職するホテル内でのアルバイト研修を奨励するお知らせが有りました。新しい環境に早く慣れる為、森田君を含め入社予定者は殆ど参加したと聞かされました。
私はホテル内のバイト研修には参加せず、三月までスペイン料理のバイトを続けました。
『もうサテライトに行ってもいいんだぞ。』チーフは言ってくれましたが、名残惜しかったのも有りましたし、1年間続けたかったんですよね。
年が明け調理師学校の卒業が近くなると、授業の無い日も多くなり、クラスでは卒業旅行に出かける人も多いようでした。
私は森田君の友人に誘われ引っ越しの短期のバイトも始めました。内容は川崎や都内のオフィスビルの会社の引越しなんですが、依頼先の会社の業務が終了後の引越し作業。21時〜22時から、未明や翌朝に終わる夜間のオフィスの引っ越しでした。
時間帯が辛いだけで業務は単純でした。何十人ものバイトで椅子やテーブルなどオフィス用品を人海戦術でエレベーターで運び、トラックに積み込むまででしたから。
自分の引っ越し進めながらスペイン料理店に入り、尚且つ夜は不定期で引っ越しのバイト。
働き過ぎかも知れませんが、
私の実家は水産業で小さい頃から家業の手伝いは当たり前でしたし、小学校四年生から新聞配達をするのが兄弟の習わしでした。厳しかったですが生きる意味を教えてくれた両親には今でも感謝しています。
水産高校に行って実家を継ぐと思ったら、、今度は横浜の調理師学校へ行かせてくれですからね…。
実家は三つ子の兄が継いだのでいいんですが、三つ子のもう1人が大学生で私が専門学校。それ以外の上の兄弟三人も皆んな大学行ってますから両親は学費も仕送りも大変だったと思いますね。
高校時代はレガッタで鍛えてますし体力だけは自信有りましたからね。でも眠気には勝てなくて…。
ある日、
深夜のバイトから帰ってアパートで寝てると、森田やクラスメートが訪ねて来ました。
『トミタカ〜、トミタカ〜!』ドアの向こうから森田の声で起こされました。
『まだ寝てたのかよ! 卒業式来なかったなぁ…』
そう言えば、
深夜のバイトが専門学校の卒業式の前日に入り、
森田と私はバイトを優先、翌朝バイトが終わってから仮眠をとり、、起きれたら卒業式に出よう!って話になっていました。
私は眠気には勝てず、、と言うか、卒業式にはまったく参加する気がありませんでした。
既に春からの働く職場に旅立ってるクラスメートも何人かいましたし、もう気持ちはサテライトホテルや新生活に移っていましたね。
セレモニーにもあまり興味無かったですね、謝恩会には顔を出しました。どんな料理が出るか仕事柄興味ありましたから。
スペイン料理のお店では、
一月の成人式には出席せず、私や松本君、町田の調理師学校の鈴木君は皆んな二十歳でしたが仕事をしていましたね。
成人式には大学生や一般の社会人が参加する行事で、私達のような料理人や職業の人間はおもてなしする側と、自覚と責任が皆んなありましたね。
『成人式にお店休んで行け!』て言われた方が嫌でしたね。自分は店から頼られて無いんだなって。
成人式に働いてる方が頼りにされてるんだ!って嬉しかったですね。
蒲江の実家の方では夏に成人式が有り、写真を観ると羨ましい気持ちもちょっとは有りましたが、修業の身ですし、それが当たり前の時代でした。
今は二十歳の子達は成人式に行かせますよね。
シェトミタカでも二十歳の子達を雇っていた時は皆んな成人式に行きましたね。今はそれが当たり前の時代ですからね。時代は変わりますから。
専門学校では最後に卒業作品展が行われます。卒業生が創作料理を展示する行事なんですが、この料理を作らないと卒業出来ないんです。
*中華料理
*フランス料理
*日本料理
以上のいずれかを一品作るのか決まりです。
私が卒業作品展に作って展示したのが、
スペイン料理のパエリヤでした!
私は決められた料理を作らない理由を、
『1年間スペイン料理店で一生懸命働いたので、スペイン料理しか考えられません。』と説明しました。
坂本先生は
『しょうがないなぁ、トミタカらしいよ〜』と笑って許してくれました。
横浜調理師専門学校の担任の坂本先生には大変お世話になり、『私はトミタカの母親代わりだからね〜』とよく叱っていただきました。
スペイン料理店の白鳥チーフやコックさん達には、料理人や職人になる覚悟を教わったんだと思います。
アルバイトと専門学校の1年間も無事に終了。終わってみればたくさんの方々に大変世話になっているのに気づき、ちょっと驚きました。
皆様 本当に有難うございました。

そして三月の終わり、
日本交通グループの新社会人研修へ、サテライトホテルヨコハマの新入社員一同で静岡県伊東市へ向かいました。
残り最後の学生生活を謳歌する…って訳にはいかなかったですね。
就職先が中区山下町のサテライトホテルなので、今住んでいる泉区緑園都市から入社までに中区に引っ越す事に決めました。近くだと交通費も浮きますしね。
家財道具の購入や引っ越し費用などを捻出する為、スペイン料理のバイトも入れるだけ入れてもらいました。
サテライトホテルからは専門学校が冬休みの間、就職するホテル内でのアルバイト研修を奨励するお知らせが有りました。新しい環境に早く慣れる為、森田君を含め入社予定者は殆ど参加したと聞かされました。
私はホテル内のバイト研修には参加せず、三月までスペイン料理のバイトを続けました。
『もうサテライトに行ってもいいんだぞ。』チーフは言ってくれましたが、名残惜しかったのも有りましたし、1年間続けたかったんですよね。
年が明け調理師学校の卒業が近くなると、授業の無い日も多くなり、クラスでは卒業旅行に出かける人も多いようでした。
私は森田君の友人に誘われ引っ越しの短期のバイトも始めました。内容は川崎や都内のオフィスビルの会社の引越しなんですが、依頼先の会社の業務が終了後の引越し作業。21時〜22時から、未明や翌朝に終わる夜間のオフィスの引っ越しでした。
時間帯が辛いだけで業務は単純でした。何十人ものバイトで椅子やテーブルなどオフィス用品を人海戦術でエレベーターで運び、トラックに積み込むまででしたから。
自分の引っ越し進めながらスペイン料理店に入り、尚且つ夜は不定期で引っ越しのバイト。
働き過ぎかも知れませんが、
私の実家は水産業で小さい頃から家業の手伝いは当たり前でしたし、小学校四年生から新聞配達をするのが兄弟の習わしでした。厳しかったですが生きる意味を教えてくれた両親には今でも感謝しています。
水産高校に行って実家を継ぐと思ったら、、今度は横浜の調理師学校へ行かせてくれですからね…。
実家は三つ子の兄が継いだのでいいんですが、三つ子のもう1人が大学生で私が専門学校。それ以外の上の兄弟三人も皆んな大学行ってますから両親は学費も仕送りも大変だったと思いますね。
高校時代はレガッタで鍛えてますし体力だけは自信有りましたからね。でも眠気には勝てなくて…。
ある日、
深夜のバイトから帰ってアパートで寝てると、森田やクラスメートが訪ねて来ました。
『トミタカ〜、トミタカ〜!』ドアの向こうから森田の声で起こされました。
『まだ寝てたのかよ! 卒業式来なかったなぁ…』
そう言えば、
深夜のバイトが専門学校の卒業式の前日に入り、
森田と私はバイトを優先、翌朝バイトが終わってから仮眠をとり、、起きれたら卒業式に出よう!って話になっていました。
私は眠気には勝てず、、と言うか、卒業式にはまったく参加する気がありませんでした。
既に春からの働く職場に旅立ってるクラスメートも何人かいましたし、もう気持ちはサテライトホテルや新生活に移っていましたね。
セレモニーにもあまり興味無かったですね、謝恩会には顔を出しました。どんな料理が出るか仕事柄興味ありましたから。
スペイン料理のお店では、
一月の成人式には出席せず、私や松本君、町田の調理師学校の鈴木君は皆んな二十歳でしたが仕事をしていましたね。
成人式には大学生や一般の社会人が参加する行事で、私達のような料理人や職業の人間はおもてなしする側と、自覚と責任が皆んなありましたね。
『成人式にお店休んで行け!』て言われた方が嫌でしたね。自分は店から頼られて無いんだなって。
成人式に働いてる方が頼りにされてるんだ!って嬉しかったですね。
蒲江の実家の方では夏に成人式が有り、写真を観ると羨ましい気持ちもちょっとは有りましたが、修業の身ですし、それが当たり前の時代でした。
今は二十歳の子達は成人式に行かせますよね。
シェトミタカでも二十歳の子達を雇っていた時は皆んな成人式に行きましたね。今はそれが当たり前の時代ですからね。時代は変わりますから。
専門学校では最後に卒業作品展が行われます。卒業生が創作料理を展示する行事なんですが、この料理を作らないと卒業出来ないんです。
*中華料理
*フランス料理
*日本料理
以上のいずれかを一品作るのか決まりです。
私が卒業作品展に作って展示したのが、
スペイン料理のパエリヤでした!
私は決められた料理を作らない理由を、
『1年間スペイン料理店で一生懸命働いたので、スペイン料理しか考えられません。』と説明しました。
坂本先生は
『しょうがないなぁ、トミタカらしいよ〜』と笑って許してくれました。
横浜調理師専門学校の担任の坂本先生には大変お世話になり、『私はトミタカの母親代わりだからね〜』とよく叱っていただきました。
スペイン料理店の白鳥チーフやコックさん達には、料理人や職人になる覚悟を教わったんだと思います。
アルバイトと専門学校の1年間も無事に終了。終わってみればたくさんの方々に大変世話になっているのに気づき、ちょっと驚きました。
皆様 本当に有難うございました。

そして三月の終わり、
日本交通グループの新社会人研修へ、サテライトホテルヨコハマの新入社員一同で静岡県伊東市へ向かいました。
タグ :横浜
2015年06月20日
続 就職への道【18】結果発表
敗者復活戦の気持ちで受けたサテライトホテルの就職試験。
思い起こせば、
高校時代はボート部に所属し、九州大会の最後のレガッタで敗者復活戦に回り、結局そのまま敗退。
まさか社会人になる為の就職試験が、あの時のように敗者復活戦になるとは。
人生とは敗者復活戦の連続なのかも知れません。。
敗者復活戦でもう一度戦えるのだから、有難いものです。
そして、 試験から一週間後
サテライトホテルヨコハマさんからお電話を頂きました。
『サテライトホテルの伊武ですが。先日の入社試験の結果をお伝え致します。
…この度はおめでとうございます。』
つ、遂に、敗者復活戦勝ち上がりました!!
今回は自信が有りました。いや自信を持とうと思いました。運を引き寄せるぐらいじゃないと、それぐらいの気持ちがないと通用しない世界だなと少しづつ感じていました。
しばらくすると森田君からも電話が有りました。
『俺も受かったぞ!、トミタカもサテライトだな!』
森田君はなぜか、私が採用になった事も知ってるんですね。心配してくれたようです。
晴れて来春より、私達二人はサテライトホテルヨコハマの調理部採用が正式に決まりました。
調理師学校も、入社するホテルも、部署までが一緒の森田。これから彼とは長い付き合いになるんだろうな…と思っていました。
しかし、
二人の進む道は
以外と早く岐れる事になるんですよね。。

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2015年06月19日
続 就職への道【17】敗者復活戦
サテライトホテルヨコハマさんへ就職試験のご挨拶に伺いました。
横浜調理師専門学校からは私以外に同じクラスの森田君も参加です。
なんかその時点で、前回の新横国際の就職試験を思い出し嫌な予感がしました(汗)
新横国際の時は同じクラスの児玉君も受験して彼が採用、私が不採用でしたからね…。
まぁねぇ、
もう今回は森田君だろうと遠慮はしません!
(前回も遠慮したつもりはないですけどね…。)
『こっちは大分から上京して一人暮らしだし、生活かかってんだ。地元の上永谷に住む森田には負ける訳いかねぇって!!』と私が本気なような冗談を言うと、
『トミタカ お前、九州の実家帰って魚でも飼ってろよ!遊びに行ってやるから〜俺も負けねぇって。』と森田も反撃。
森田君は最初からサテライトホテル狙いで、私は新横に落ちて敗者復活戦みたいなもの。
友人がライバルになってしまう就職試験、しかし就活も終盤になると覚悟も決まってきます。
今回がダメでも幾らでも何社でも受け、きっと良い就職先を掴み取ってやる!そんな気持ちですね。
『こんにちは!横浜調理師学校から来た冨高 大と申します。』フロントに挨拶に伺うと、
フロントスタッフからレストランの席に私と森田君は通されました。
しばらくすると、人事部長の伊武さんがいらっしゃり、今後の試験の日程や調理部の業務の内容などを説明してもらいました。
サテライトホテルは日本交通のグループ会社で、サテライトホテル後楽園やタクシー会社、エレベーターの会社など八社程のグループ会社のひとつで、あの頃はヨコハマスタジアムでプロ野球が開催された日は常宿にされてる球団があり、サテライトホテル後楽園では優勝したチームのビール掛けもあったり…。
私は全く存じていませんでしたが、森田君がサテライトホテルを選んだのもなんとなく分かるような気がしました。
最後に調理部の日野山さんも呼んで挨拶をし、サテライトホテルを後にしました。
* * *
翌週、
僕と森田君は
ホテル志望の他の受験生と一緒に、
サテライトホテル内の宴会場で就職試験に挑みました。
私達の運命は如何に!!

次は
続 就職への道【18】結果発表
横浜調理師専門学校からは私以外に同じクラスの森田君も参加です。
なんかその時点で、前回の新横国際の就職試験を思い出し嫌な予感がしました(汗)
新横国際の時は同じクラスの児玉君も受験して彼が採用、私が不採用でしたからね…。
まぁねぇ、
もう今回は森田君だろうと遠慮はしません!
(前回も遠慮したつもりはないですけどね…。)
『こっちは大分から上京して一人暮らしだし、生活かかってんだ。地元の上永谷に住む森田には負ける訳いかねぇって!!』と私が本気なような冗談を言うと、
『トミタカ お前、九州の実家帰って魚でも飼ってろよ!遊びに行ってやるから〜俺も負けねぇって。』と森田も反撃。
森田君は最初からサテライトホテル狙いで、私は新横に落ちて敗者復活戦みたいなもの。
友人がライバルになってしまう就職試験、しかし就活も終盤になると覚悟も決まってきます。
今回がダメでも幾らでも何社でも受け、きっと良い就職先を掴み取ってやる!そんな気持ちですね。
『こんにちは!横浜調理師学校から来た冨高 大と申します。』フロントに挨拶に伺うと、
フロントスタッフからレストランの席に私と森田君は通されました。
しばらくすると、人事部長の伊武さんがいらっしゃり、今後の試験の日程や調理部の業務の内容などを説明してもらいました。
サテライトホテルは日本交通のグループ会社で、サテライトホテル後楽園やタクシー会社、エレベーターの会社など八社程のグループ会社のひとつで、あの頃はヨコハマスタジアムでプロ野球が開催された日は常宿にされてる球団があり、サテライトホテル後楽園では優勝したチームのビール掛けもあったり…。
私は全く存じていませんでしたが、森田君がサテライトホテルを選んだのもなんとなく分かるような気がしました。
最後に調理部の日野山さんも呼んで挨拶をし、サテライトホテルを後にしました。
* * *
翌週、
僕と森田君は
ホテル志望の他の受験生と一緒に、
サテライトホテル内の宴会場で就職試験に挑みました。
私達の運命は如何に!!

次は
続 就職への道【18】結果発表
タグ :横浜
2015年06月18日
続 就職への道【16】山下町編
横浜と言えば
今ではみなとみらいや桜木町が有名でしょうか。
みなとみらい地区が完成する前は、
中華街や山下公園、マリンタワーなどがある山下町が観光地横浜の中心でした。
近くには元町商店街やミッション系の大学もあり、山の手の街並みが広がる古き良き横浜です。
就職試験先に選ぶまでは山下町のサテライトホテルの事はあまり知りませんでした。
高校を卒業後、横浜の調理師学校に入学して半年。横浜市泉区緑園都市のアパートに住みはじめ、放課後や休日はスペイン料理店でのバイトに夢中。
調理師学校の従業料は出して貰ってましたが、それ以外のアパート代や生活費はバイト代でやり繰りしていました。
でもたまに足りなくなったりして、東京にいる伯母さんや大学生の兄に借りたりしてたようなんです(汗)
そんな状況だったので、山下町の観光スポット周辺はまだ訪れたこと有りませんでした。
中華街には調理学校の行事で訪れてたので、サテライトホテルの位置はなんとなく把握できてました。
中華街に隣接してサテライトホテルヨコハマが建ち、横にホテルホリデーインヨコハマ(現在はローズホテル横浜)。サテライトホテルの通りの一本向うの海岸通りには、ホテルニューグランドやザ ホテル ヨコハマがあったり、、前には山下公園があるロケーション。
山下町のシティホテルの中では比較的こじんまりとしたのがサテライトホテルヨコハマでした。
サテライトホテルヨコハマの就職試験の前に、先ずは情報収集とご挨拶に伺いました。
(前回の失敗から学びました)
清水総料理長と横浜調理師専門学校OBの日野山さんを訪ねての会社訪問でした。

タグ :横浜
2015年06月17日
いざ新横浜【15】〜結果発表
就職試験から一ヶ月余り、
新横浜国際ホテルからの通知がアパートに届きました。
就職もこれでひと段落だぁ…と封書を開けると、
不採用の通知でした。
頭の中は真っ白になり、、って事はなかったですが、なんとなくそんな気もしていました。
手応えはあったような気もしたんですが。しかし確信も得ていませんでした。何かが違ったような印象は感じてました。
強いて言えば面接か⁈
『スペイン料理店で働いてます!』って料理人気取りだったかもしれませんね(汗)
…今さらいろいろ考えても後の祭り。

翌日
調理師学校で担任の坂本先生に不合格を報告すると、、
全て分かってる感じでしたね。クラスメートの児玉君は採用通知が来たらしいですからね。
『児玉は高校の時、部活動で頑張ってたから評価されたらしいよ。』とか、
『◯◯の親父が◯◯ホテルの料理長だから受かるよ。』など、就職試験シーズンの専門学校は、嘘か誠かいろんな噂が流れてましたね。それだけ皆んな就職に貪欲だったのかもしれません。
調理師学校のOBを前もって訪ね、挨拶とかしっかり行ってる人がいるのも後で知りましたし、採用されてる人はしっかり下準備もし、対策をとってますね。
私より児玉君を採用する事実を知ると、ちょっと神妙になりましたね。弱肉強食、合否が全ての現実。
『一つ目なんだからいい勉強になったでしょ〜笑』と坂本先生。確かに何が悪かったか反省もするし、採用になってたらもう天狗になってたと思います。
仮に児玉君が不採用だったら、私が採用されるわけでも無いですからね。
そう言った意味でも、今回の不採用は良い薬になりました。
感傷に浸ってる時間もない就職試験シーズン!
そして次の就職試験に選んだのが、
山下町のサテライトホテルヨコハマでした。
新横浜国際ホテルからの通知がアパートに届きました。
就職もこれでひと段落だぁ…と封書を開けると、
不採用の通知でした。
頭の中は真っ白になり、、って事はなかったですが、なんとなくそんな気もしていました。
手応えはあったような気もしたんですが。しかし確信も得ていませんでした。何かが違ったような印象は感じてました。
強いて言えば面接か⁈
『スペイン料理店で働いてます!』って料理人気取りだったかもしれませんね(汗)
…今さらいろいろ考えても後の祭り。

翌日
調理師学校で担任の坂本先生に不合格を報告すると、、
全て分かってる感じでしたね。クラスメートの児玉君は採用通知が来たらしいですからね。
『児玉は高校の時、部活動で頑張ってたから評価されたらしいよ。』とか、
『◯◯の親父が◯◯ホテルの料理長だから受かるよ。』など、就職試験シーズンの専門学校は、嘘か誠かいろんな噂が流れてましたね。それだけ皆んな就職に貪欲だったのかもしれません。
調理師学校のOBを前もって訪ね、挨拶とかしっかり行ってる人がいるのも後で知りましたし、採用されてる人はしっかり下準備もし、対策をとってますね。
私より児玉君を採用する事実を知ると、ちょっと神妙になりましたね。弱肉強食、合否が全ての現実。
『一つ目なんだからいい勉強になったでしょ〜笑』と坂本先生。確かに何が悪かったか反省もするし、採用になってたらもう天狗になってたと思います。
仮に児玉君が不採用だったら、私が採用されるわけでも無いですからね。
そう言った意味でも、今回の不採用は良い薬になりました。
感傷に浸ってる時間もない就職試験シーズン!
そして次の就職試験に選んだのが、
山下町のサテライトホテルヨコハマでした。
タグ :横浜
2015年06月15日
いざ新横浜 【14】〜弱肉強食
就職試験当日、
受験先の新横浜国際ホテルは新横浜駅の地下鉄の駅を出て数分でした。
受験生には同じ調理学校の生徒も多数いて、たまたま電車の中で一緒になり会場のホテルへと皆で向かったと思います。
新横国際の試験には同じクラスは児玉君も参加していました。彼からは中古のスクーターを通勤用に格安で譲って貰ったりした気心の知れたクラスメート。吉田君と一緒で、有名校で元高校生球児。
みんな就職試験ではライバルですが、この時点ではまだ天国と地獄?いや就職試験の合否の厳しさにピンときてなかったのですね。。
試験のことに関しては正直まったく覚えてないんですよね(汗)緊張してた訳じゃないんですが。
筆記試験も面接もまぁまぁの手応えを感じました。なんとなく受かるんじゃないかな。と思ったんですよ。

試験結果は封書でアパートに届きました。青い封筒だったのは鮮明に覚えています。
その頃には蒲江の実家に新横浜国際ホテルを受験し、そこに就職するつもりだと言う手紙も出してました。

受験先の新横浜国際ホテルは新横浜駅の地下鉄の駅を出て数分でした。
受験生には同じ調理学校の生徒も多数いて、たまたま電車の中で一緒になり会場のホテルへと皆で向かったと思います。
新横国際の試験には同じクラスは児玉君も参加していました。彼からは中古のスクーターを通勤用に格安で譲って貰ったりした気心の知れたクラスメート。吉田君と一緒で、有名校で元高校生球児。
みんな就職試験ではライバルですが、この時点ではまだ天国と地獄?いや就職試験の合否の厳しさにピンときてなかったのですね。。
試験のことに関しては正直まったく覚えてないんですよね(汗)緊張してた訳じゃないんですが。
筆記試験も面接もまぁまぁの手応えを感じました。なんとなく受かるんじゃないかな。と思ったんですよ。

試験結果は封書でアパートに届きました。青い封筒だったのは鮮明に覚えています。
その頃には蒲江の実家に新横浜国際ホテルを受験し、そこに就職するつもりだと言う手紙も出してました。

タグ :横浜
2015年06月14日
就職への道【13】〜 目から鱗
バイト先のスペイン料理店のチーフに、就職をお願いしたら、
チーフの答えは、
スペイン料理店に入るより、ホテルで先ずは料理の基本から学ぶ道を進められたのでした。
聞いた直後は、驚きましたね。
スペイン料理のコックに成るんだ!と将来を決めてたようなものですから。
でもチーフに言われたことを冷静に考えると、まさに正論。
あの時に言ってもらい、本当に有りがたかったと思います。
私は、
そっか!ホテルに就職って道もあるのか…目から鱗でした。
私はスペイン料理を諦めたわけではなく、ホテルでフランス料理を学んで、スペイン料理店ににフレンチの技法を持ちこもう…ぐらい思ってましたから、、
今考えると、おめでたい奴と言うか、若者時期特有の自意識過剰系だったのかな。笑
翌日から早速、調理師を募集しているホテルを調べてみました。
調理師学校の担任の坂本先生に事情を話し相談すると、、
『マサルらしいね〜笑
ホテルは人気だからね。もう余り募集残ってないんだよね…。』
『これなんかどう。行ってみる?』
一一一一一一一一一一一
募集要項
*新横浜国際ホテル*
一一一一一一一一一一一
『はい、そのホテル受けさせ下さい!』
何事にも直感で行動する私は、必要種類を準備し、手続きをしてもらい就職試験を受ける事に!
随分軽いノリに感じるかも知れませんが、
もう選り好みするほど時間も有りません。
新横浜国際ホテルの就職試験は二週間後に迫っていました。

タグ :横浜
2015年06月13日
就職への道【12】〜チーフのひと言
スペイン料理店の同い年の仲間たち、
松本君と鈴木君と私の3人で休憩時間にホールで進路の話をしている時、
『ここに就職するの?』松本君から聞かれました。
私は迷わず
『ここに就職したいです!』と奥の厨房にいる白鳥チーフに聞こえるように大きな声で答えました。
遂にこの時が来たか!
改めて白鳥チーフの前に行き、
『就職の件なんですが、よろしくお願いします!』と頭を下げました。
白鳥チーフは私の顔を見て、
真剣にゆっくりと話はじめました。
『これからお前が本当に料理人になりたいなら、
スペイン料理ではなく、フランス料理を学べ。
西洋料理の基本はフランス料理だ。
フランス料理の応用でスペイン料理は出来る。
でもスペイン料理を学んでからフランス料理に移るのは難しい。
フランス料理をしっかりやりたいなら、ホテルに入れ。
フランス料理をしっかり学んで、それでもスペイン
料理をやりたかったら、いつでも帰ってこい。
その時はいつでも入れてやる。
人生長えんだから、
いろんな経験しといた方が豊かになるぞ。』
時間をかけて ゆっくり
白鳥チーフは語りかけてくれました。が、
スペイン料理のコックになるつもりがー!
これは、これは、大変な事になりました!!

2015年06月12日
就職への道【11】 〜スペイン料理コックになる!?
夏休みが終わると
調理師学校では就職活動が本格化。
求人の案内が廊下に張り出されたり、資料が配られたり急に慌ただしくなりました。
一年制の調理師学校ですから、入学して半年もせずにもう就職活動!
就職先や求人が調理師学校に寄せられ、学生に紹介出来るのが調理師学校の最大の目的かも知れません。
勿論、調理の実技や食品衛生などを学び、食のエキスパートとして世に送り出すのが調理師専門学校の役目ですが。二年制の学校に較べると一年制には限界があるように思えます。
卒業した横浜調理師専門学校が力を入れているのが中華料理でした。横浜と言えば中華街のお膝元。中華街の有名店からの求人も多かったと思います。
学生達は就職先をハッキリ選択しているようで、吉田君は和食の道へ、森田君はホテルへの就職を希望していて、目標に向かい準備を進めていました。
就職率はほぼ100%だったと思いますが、中には食以外の道に進む人もいたようです。
ここでいちばん重要なのが、
調理や飲食の仕事に就くのは比較的簡単ですが、
続けるのがとても難しいと言う点です。
就職する事よりも就職して続けれるかどうか、自分に合っているかどうかが最大の課題なのです。
私の進路は、、
前にも触れましたが、バイト先のスペイン料理の魅力に触れ、スペイン料理店での就職を希望していました。
バイト先のスペイン料理店は、横浜駅駅西口以外にも川崎や関内にも支店があり、コックさん達はある程度勤務年数が経つと、スペインに研修に行かせてもらっていました。今から30年前の時代では福利厚生も魅力的に感じました。
皆んな進路がしっかり定まってるし、
自分もそろそろ具体的に話を進めないとな…
先ずは学校でバイト先のスペイン料理店の求人情報を確認し、申し込みをした方がいいのか?
バイト先のチーフには度々、
『スペイン料理のコックに成ります!』と言ってはいるものの、イマイチ本気に受けとられてないような…。
物事には順序が有り、学校を通して正式に申し込んだ方が本気度が伝わるのか?自分なりに勝手に解釈したのでした。
しかしスペイン料理店の求人情報は中々掲示板にも張り出されません。
楽観的と言うかのんびり屋と言うか私は、、
そのうちスペイン料理店の求人情報が出るだろうし、このままバイトしてれば社員に成れるだろうと、のんきに構え、バイトには通う毎日でした。
バイト先のスペイン料理店には、関内店から松本君がヘルプに来る日が増えいました。
松本君は私と同い年の社員のコックさんで、スペイン料理店の将来を担う逸材と期待されてましたが、気さくな人でした。
『そう言えばトミタカ君〜、そろそろ就職活動の時期じゃないの…ここに就職するの?』
松本君とホールスタッフの鈴木君、私の3人は同い年で将来について話していました。
鈴木君は町田の調理師学校に通っていてホールでバイトしていましたが、調理師学校卒業後は飲食店ではない一般の会社に就職を希望していました。

調理師学校では就職活動が本格化。
求人の案内が廊下に張り出されたり、資料が配られたり急に慌ただしくなりました。
一年制の調理師学校ですから、入学して半年もせずにもう就職活動!
就職先や求人が調理師学校に寄せられ、学生に紹介出来るのが調理師学校の最大の目的かも知れません。
勿論、調理の実技や食品衛生などを学び、食のエキスパートとして世に送り出すのが調理師専門学校の役目ですが。二年制の学校に較べると一年制には限界があるように思えます。
卒業した横浜調理師専門学校が力を入れているのが中華料理でした。横浜と言えば中華街のお膝元。中華街の有名店からの求人も多かったと思います。
学生達は就職先をハッキリ選択しているようで、吉田君は和食の道へ、森田君はホテルへの就職を希望していて、目標に向かい準備を進めていました。
就職率はほぼ100%だったと思いますが、中には食以外の道に進む人もいたようです。
ここでいちばん重要なのが、
調理や飲食の仕事に就くのは比較的簡単ですが、
続けるのがとても難しいと言う点です。
就職する事よりも就職して続けれるかどうか、自分に合っているかどうかが最大の課題なのです。
私の進路は、、
前にも触れましたが、バイト先のスペイン料理の魅力に触れ、スペイン料理店での就職を希望していました。
バイト先のスペイン料理店は、横浜駅駅西口以外にも川崎や関内にも支店があり、コックさん達はある程度勤務年数が経つと、スペインに研修に行かせてもらっていました。今から30年前の時代では福利厚生も魅力的に感じました。
皆んな進路がしっかり定まってるし、
自分もそろそろ具体的に話を進めないとな…
先ずは学校でバイト先のスペイン料理店の求人情報を確認し、申し込みをした方がいいのか?
バイト先のチーフには度々、
『スペイン料理のコックに成ります!』と言ってはいるものの、イマイチ本気に受けとられてないような…。
物事には順序が有り、学校を通して正式に申し込んだ方が本気度が伝わるのか?自分なりに勝手に解釈したのでした。
しかしスペイン料理店の求人情報は中々掲示板にも張り出されません。
楽観的と言うかのんびり屋と言うか私は、、
そのうちスペイン料理店の求人情報が出るだろうし、このままバイトしてれば社員に成れるだろうと、のんきに構え、バイトには通う毎日でした。
バイト先のスペイン料理店には、関内店から松本君がヘルプに来る日が増えいました。
松本君は私と同い年の社員のコックさんで、スペイン料理店の将来を担う逸材と期待されてましたが、気さくな人でした。
『そう言えばトミタカ君〜、そろそろ就職活動の時期じゃないの…ここに就職するの?』
松本君とホールスタッフの鈴木君、私の3人は同い年で将来について話していました。
鈴木君は町田の調理師学校に通っていてホールでバイトしていましたが、調理師学校卒業後は飲食店ではない一般の会社に就職を希望していました。

2015年06月11日
純情レストラン【10】〜恋する喫茶店
学校やバイト先は横浜駅西口に有り、
反対側の東口の喫茶店で、同じクラスのマドンナ的存在の多岐元さんがバイトしていました。
『コーヒー飲みに来てよ〜』と、誰れに言ったでもない多岐元さんの一言に私達は舞い上がり、
『じゃあ今度トミタカ達と行くね〜』とお調子者の森田君がすぐに口約束を取りつけました。
後日
バイトで都合がつかない吉田君を置き去りにし、私と森田君で東口の喫茶店へコーヒーを飲みに出かけました。
突然現れたクラスメートの男子2人。多岐元さんは他のバイトに冷やかされながらも、上手に私達を軽快なトークでもてなしてくれました。
まぁ話したのは殆ど森田君で、私は何を話し、何を飲んだのか記憶にない次第です。
喫茶店を出て森田君が、
『あれは無理だな、、俺、遠慮するわ。トミタカもやめといた方がいいぜ。』と白旗を揚げてしまいました。
年上の多岐元さんはひとつ下の私達を子供扱いし、
『年下のオレらじゃあ歯が立たねぇよ…年上がきっとタイプだなぁ、あれは。』
確かに年下の私達を『若いしぃ〜、良いよねぇ。私もぅおばさん笑』東口のマドンナの口癖でしたが。
でもあれは会話の話題として、多岐元さんは年上キャラを演じたのでは…。しかしハマっ子の森田君は意外に慎重派なのかもしれません。
翌日から森田君と吉田君は、東口のマドンナには興味がなくなったようです。
しかし数日後、
東口の喫茶店に、私一人で訪れてしまったのです!
森田君の言う『やめといた方がいい』の意味も分からず、バイトの先輩西田さんとも交流がなくなり、寂しかったのかも知れません。
人は誰でも『やめといた方が…』と言われるほど、やめられないものなんでしょうか。。
その後も数回、東口の喫茶店にひとりで訪れたンですが、ただのクラスメート止まりの会話で、なんの進展もない喫茶店の常連客でした。
調理師学校の長い夏休みが終わり、新学期で悪友?の森田君や吉田君たちとも再会。
『トミタカ 久しぶり!日に焼けたじゃん!』
『森田元気ー?うん、実家帰ってたから。』
『そう言えば、、多岐元と南が付き合ってるらしいぜ〜』
『ふーん、そうなんだ…。』ちょっと動揺した私。
夏の終わりと共に
私の横浜での最初の恋?は終わってしまい、行きつけの喫茶店も失くしてしまったのでした。。
因みに、南君は私達と同い年でとても感じのいい奴でした。

次回は、
就職への道【11】〜スペイン料理コックになる!?
反対側の東口の喫茶店で、同じクラスのマドンナ的存在の多岐元さんがバイトしていました。
『コーヒー飲みに来てよ〜』と、誰れに言ったでもない多岐元さんの一言に私達は舞い上がり、
『じゃあ今度トミタカ達と行くね〜』とお調子者の森田君がすぐに口約束を取りつけました。
後日
バイトで都合がつかない吉田君を置き去りにし、私と森田君で東口の喫茶店へコーヒーを飲みに出かけました。
突然現れたクラスメートの男子2人。多岐元さんは他のバイトに冷やかされながらも、上手に私達を軽快なトークでもてなしてくれました。
まぁ話したのは殆ど森田君で、私は何を話し、何を飲んだのか記憶にない次第です。
喫茶店を出て森田君が、
『あれは無理だな、、俺、遠慮するわ。トミタカもやめといた方がいいぜ。』と白旗を揚げてしまいました。
年上の多岐元さんはひとつ下の私達を子供扱いし、
『年下のオレらじゃあ歯が立たねぇよ…年上がきっとタイプだなぁ、あれは。』
確かに年下の私達を『若いしぃ〜、良いよねぇ。私もぅおばさん笑』東口のマドンナの口癖でしたが。
でもあれは会話の話題として、多岐元さんは年上キャラを演じたのでは…。しかしハマっ子の森田君は意外に慎重派なのかもしれません。
翌日から森田君と吉田君は、東口のマドンナには興味がなくなったようです。
しかし数日後、
東口の喫茶店に、私一人で訪れてしまったのです!
森田君の言う『やめといた方がいい』の意味も分からず、バイトの先輩西田さんとも交流がなくなり、寂しかったのかも知れません。
人は誰でも『やめといた方が…』と言われるほど、やめられないものなんでしょうか。。
その後も数回、東口の喫茶店にひとりで訪れたンですが、ただのクラスメート止まりの会話で、なんの進展もない喫茶店の常連客でした。
調理師学校の長い夏休みが終わり、新学期で悪友?の森田君や吉田君たちとも再会。
『トミタカ 久しぶり!日に焼けたじゃん!』
『森田元気ー?うん、実家帰ってたから。』
『そう言えば、、多岐元と南が付き合ってるらしいぜ〜』
『ふーん、そうなんだ…。』ちょっと動揺した私。
夏の終わりと共に
私の横浜での最初の恋?は終わってしまい、行きつけの喫茶店も失くしてしまったのでした。。
因みに、南君は私達と同い年でとても感じのいい奴でした。

次回は、
就職への道【11】〜スペイン料理コックになる!?