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2015年08月11日

青い鳥症候群【48】



永江ベーカーチーフに退職を言い出すのは大変気が引けました。チーフはやさしい方でしたから、私の事で問題を起こしてばかりで申し訳ないなと。


しかし、辞めたい、退職したいとなると、どこの会社や仕事でもすぐに話がまとまる事は有りません。何度も引き止められ、説得されたり…。

永江チーフとは何度も話し合い意思を伝え、分かってもらえる様に素直に話しました。


しかし簡単には受け入れてもらえませんでした。無理も有りません。入社して1年も経ってないし、、石の上にも三年、せめて1年は続けないか?となります。


永江チーフとは1年間は続けてから…と言う条件で清水料理長に話を伝えてくれる事になりました。



清水料理長は、1度退職の意向を話してからは中々2回目の話を聞いてくれませんでした。


『料理長!清水料理長〜!』と厨房で出会うと、


私を見て笑いながら逃げるんです、そうなるとさすがに凹みましたね。サテライトホテルの永江チーフや清水料理長はとても良い人達でした。
困らせるような事を最後までしてしまい、罪悪感ですね。


料理長からは、
『何でだよ冨高。永江(チーフ)が気に入らないのか?平成になってはじめての退職者なんて駄目だよ〜。続けてみようよ!』と。


『先ずはクリスマスまではな…。』退職の話は料理長のとこで保留になりました。



例えが違うかもしれませんが、

付き合っていた人と別れる時、

結婚するより離婚する方が、、大変なんですよね、きっと…。会社も入社するより退職する方が難しいのかも知れません。
辞めますと言って行かなければいいのかも知れませんが、人と人との関係をお互いが納得する方向で離れるのは難しいものですね。


入社して1年も経たずに退職を決意したのは、、今となっては何故そこまでこだわったのか…あの時はあの決断を選択したんでしょうね。


ただ、がむしゃらに働きたい!と思いました。


しかし、
料理長や永江チーフからも説得され、現状に何だかんだ理由をつけて満足出来ない、ただ青い鳥を探してるだけの青い鳥症候群なのかも知れません。


ホテルでは無く、街場で、厳しい環境で働いてみたい!だんだんと転職のテーマも自分の中ではしっかり固まり、その気持ちは変わりませんでしが。



サテライトホテルでは、クリスマスに向けてどんどん気持ちを昂らせ、徹夜覚悟、不眠不休で挑むつもりでした。。。



そして今年の集大成

サテライトホテルヨコハマはクリスマスシーズンへ突入しました。














  

2015年08月02日

新たな扉【45】



9月から浜田さんはレストランに戻り、
ベーカーでは新入社員の三人が中心になり業務を進めるようになりました。

仕込や菓子の製造の予定を立てたり、在庫管理をしたり、、。当たり前なんですが、菓子を作ることも大事なんですが、菓子作り以外の事もそれ以上に重要なんですね。

明日の予定を立てたりスケジュールを組んだりするのは、自然と男性陣の草刈さんと私の役割になり、女性の伊南さんが在庫管理や発注など事務的な事を受けおってくれてました。


浜口さんが居なくなって数日後、

『冨高、ちょっといい?』と、永江ベーカーチーフから声をかけられました。

浜田さんが居なくなってチーフを補佐するリーダーを決めようと相談をされました。


『冨高やらない?』チーフから単刀直入に聞かれました。私は何でも積極的にチャレンジしてましたから、やる気を買われたんだと思います。が、

『いやぁ、自分ですか…。』私は自分の気持ちを正直に伝えました。
草刈さんは私と伊南さんより年上で、製菓学校卒だし私より適任者では。


リーダーをどちらにするか?伊南さんは女性ですしちょっと負担になるかも知れません。

私と草刈さんで話し合い、私は辞退し草刈さんにリーダーになってもらう事になりました。
リーダーには興味がない私は、菓子作りに専念する事にしか興味が無い事がわかりました。


新しい菓子の本を書店で見つけるとまめにチェックし、高価な洋菓子の専門書も購入し、就業後にホテルの厨房で試作してみたり、、。
あの頃はネットもPCも携帯もまだ普及してませんでしたから書籍が1番の情報でした。


調べたり試作をすればする程、今度は新たな疑問が湧いてくるんですね。。



本や雑誌に載ってるケーキはどうやって作るんだろう…


東京の洋菓子店はどんなケーキを作って、自分達ぐらいの年齢の菓子職人はどんな仕事をしてるんだろう……。


リーダーになるか、ならないかを経験し、

サテライトホテル以外の新入社員やベーカーがどんな仕事をしてるのか?気になり始め、この気持ちがどんどん大きく膨れはじめたんです!!



そんな時は仕事が終わっても真っ直ぐ帰らず、アパート近くの根岸森林公園に寄って、ベンチに座って考え事をしたり、公園をランニングしたり、、悶々としていました。。。


横浜根岸森林公園




  

2015年07月25日

伊豆高原へ【42】覚悟



森田との昼メシ対決で作ったマッシュルームのタパス。

料理を作るのが久しぶりの私でも失敗しないで作れるだろうと選びました。


勝ち負けで言えば森田の勝ちでしょうね。一品で完成された料理ですし、味もホテル仕込みで誰にでも好まれます。


マッシュルームのタパス料理は、料理と言うよりおつまみですね(汗)
失敗を恐れて冒険もしなかったんですが、1年前の調理師学校のバイト時代から何の成長もしてないの気づかされました!

今はベーカーでケーキを作っているのに、サテライトホテルを一歩出れば何も作れないし、レシピや器具や材料や場所、、環境が整って初めて菓子作りが出来てたんですね。


しかし森田は、、1年前の森田より明らかに違うオムレツと言う武器を持っています。オムレツ以外にもいろんな料理の知識を広めてるんでしょうね。


オムレツとマッシュルームのタパスでは昼メシには足りないので高橋さんと森田と私の3人で一緒にパスタを作りました。


ホテルで働いてる私や森田より高橋さんの手際が良く、卒業して半年なのに随分お互いの差がついたんだなと実感しました。


高橋さんはペンションで朝昼晩とお客様の食事を作り続けてるんですよね、自分の生活もかかってますし、家族を養ってますからね。雇われてる物と自ら生業にしてる人間の覚悟の違いですかね。



森田との昼メシ対決は、、森田と私と高橋さんの対決?にはいろいろと気づかされました。


高橋さんのペンションでは、ベットメーキングや雑用などもさせてもらい、お風呂まで頂き泊めてもらいました。


私と森田と違い、高橋さんは食品メーカーで長く会社勤めを経験しての調理師学校入学。歳は倍ほど離れていますが、リーダー的、模範的な生徒でした。

ペンション経営と言う仕事を伊豆高原でちょっと体験させてもらい、私達と高橋さんの格の違いは衝撃的でした。


森田との昼メシ対決の勝負は、、高橋さんの勝ちでしょうか。その時は皆で楽しく食事を囲み、勝負の話などはしませんでしたけど、私の中では高橋さんが勝者だな感じました。


一泊二日の伊豆高原のペンションでの体験で、横浜に帰る頃には一つの覚悟を決めていました。











  

2015年07月24日

伊豆高原へ【41】七人の敵



伊豆高原の知り合いのペンションへ遊びに行き、昼飯を作る事になり、

森田と私で昼メシで勝負しょう!となりました。


男たる者、

いつ勝負を挑まれるか分からない料理の世界。勝つか負けるかわからない勝負でも、受けないとなると男がすたります!

いつ勝負を挑まれても良いように、常に心を整えておかねばなりません……なんて笑


私の実家は水産業を営む漁師。海で生きてる商売人で危険な仕事だったのか、

『男は家を一歩でれば七人の敵がいるから気をつけろ』と何かにつけて言われて育てられ


『板子一枚下は地獄じゃあ〜』と言って、

今日仕事に(海に)出たら無事に帰ってこれるかわからんのじゃ。やけん毎日真剣に生きれ!!


それがお前の真剣かぁ!とよく怒鳴られてました。


小学生の頃、
海の上の桟橋や船上でお手伝いをさせられてる時、急にぶつかって来て海に落とすんです!

『板子一枚下は地獄じゃ!』って、スパルタですよね。

『冨高家はライオンの子供を谷から落として、這い上がって来た子だけ育てるんじゃあ。』と。


子供同士でメンコをして負けてメンコを取られて帰って来たら、、
『取り返してこい!!俺が汗水流して儲けた金で買ったメンコじゃろうが〜!』とね。


無茶苦茶な親ですよね!?

でもね、お陰でこの世界で修業しても大変だと思った事は無いんですよ、怖い先輩なんていませんでした。父を超える人には出会いませんでしたね。


子供の頃はなんて厳しい理不尽な無茶苦茶な親だろう…。と思いましたね。でも社会に出ても理不尽な無茶苦茶な事は以外と多いんですよね。

私の飽きっぽく堪え性のない性格を親は見抜いてたんでしょうね、きっと。

厳しく育ててもらって少しは根気強くなったのかも知れません、今では感謝してます。

もうあの頃の様に厳しさも無くなり、孫には甘い高齢の父ですが、やはりたまに厳しいことを言って孫たちには今だに恐れられてますね笑


ちょっと話しが大分それましたが。


職人や料理人は競ったり勝負したりするのが好きなんですよね。逆に競う気持ちが無くなると成長も止まりますよね。人と競うのでは無くても、自分自身との戦いみたいな部分も有りますね。



伊豆高原の高橋さんの経営するペンションは、予想以上に大きかったですね。

ペンションと言えば女の子が泊まるようなカワイイ感じかと思ってましたが、オーベルジュまではないですか、かわいいんですが、洗練されてました。


ペンションの新しい厨房を借りて森田はホテルの朝食で覚えたプレーンオムレツを手際よく作りました。流石の出来上がりでした。

私は…スペイン料理のトルティージャ(スパニッシュオムレツ)を作ろう!と、考えたのですがオムレツばかり食べるのも面白くないなと思い、、

スペイン料理のマッシュルームのタパス料理を作りました。
マッシュルームのアヒージョに似た料理で、ベーコン、マッシュルーム、赤ピーマン、ニンニクをオリーブオイルオリーブオイルで炒め、くり抜いたマッシュルームに炒めた具を入れるタパス料理ですね。





  

2015年07月22日

伊豆高原へ【40】昼メシ対決



久しぶりにレストラン勤務の森田と休日を合わせ、伊豆高原にドライブに向かいました。プチ夏休みですね。


私は当然クルマも持っていないので、いつも森田から連れてってもらってました。今思えばガソリン代などは一度も私から払ったことなく、

『今月ちょっと厳しいからガソリン代寄付してよ〜』て言われた時に出すくらいでしたから、森田には本当にお世話になってましたね。


調理師学校の時のクラスメートだった高橋さんが、伊豆高原にオープンしたペンションに遊びに行くのが目的です。


ドライブしながらお互いの仕事の話や恋愛話にもなりました。


『俺、◯◯と付き合うことになったんだよなぁ〜』森田は彼女が出来、その報告もしたくてドライブに誘ってくれたのかも知れません。

『冨高、坂下さんは?』と私にも聞いてきます。


『友達、友達やなぁ…。』坂下さんと電話をしたりしますが、、坂下さんとも伊南さんとも、なぜか女性とはいい友達になってしまうんですね笑



話は仕事の事についてに代わり、、


『ベーカーどうなの?、ケーキ屋になるの冨高…』


『あまり深く考えてねぇけど…。』新入社員で入社したホテルのベーカーでは五ヶ月程過ぎていましたが、二十歳ぐらいでしたから深く考えてませんでしたね。



『俺よぉ〜、早番の時オムレツ作れるようになったんだよ!◯◯さんが怖えから早く覚えたよ。』


『高橋さんのペンションで厨房貸してもらって昼メシ作ろうぜ〜

…冨高、俺と勝負しようぜ〜!!』と森田。



『お、おぅ、イイよ。』とノリで受けた私。



軽い気持ちで返事をしましたが、、、


気づいてみれば、私はベーカーに入った春から一度も料理をしてません。菓子ばかりな日々でした。

高橋さんに連絡し、昼メシを森田と私が作りご馳走する事になり、足りない材料を買い足して伊豆高原のペンションへ向かいました。