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2015年08月16日

ラストクリスマス【49】

サテライトホテルでのはじめて迎えるクリスマス。


ケーキ屋のクリスマスと言えば、作っても作っても終わらない…ってイメージで泊まり込みも覚悟で挑みました。

クリスマスケーキ作りは確かに数量も多く大変なんですが、逆にクリスマスケーキを作ると言う大義名分があるので、

*クリスマス期間は◯◯の商品はお休みさせて頂きます*

って事が出来るので、クリスマスケーキの製造に集中できる様に他の仕事を調節します。

また、レストランのコックさん達もイチゴを飾ってくれたり箱に入れたり手伝ってくれました。
流れ作業で皆んなで作ってるとなんかパワーをもらえましたね。チームワークで乗り切った感じでした。

確かベーカー4名で300台位作ったと記憶しています。コックさん達も何人も手伝ってくれましたから4名ではないですかね。







クリスマスを経験して思ったんですが、やはり計画や段取りがとても重要なんですね。クリスマスは泊まり込み覚悟で臨みましたが、、
結果、泊まり込みをする事無かったのは永江チーフが今のベーカーの戦力、対応能力を分析し、それ以上の無理な予約や台数は調節したんだと思います。
永江チーフは三日間程サテライトホテルに泊まり込んでたようですからね。私も泊まり込んでフラフラになるまで働きたかった!

『私も泊まらして下さい!』とはチーフに言えませんでした。恥ずかしかったんですかね…。


21日、22日は夜の10時までには終わりましたし、

一番忙しい23日の夜も11時位には終わりましたね。

12月24日が予約のピークですから、前日が一番忙しく、24日のクリスマスイブはケーキを1台買って夜の9時過ぎには退社出来ました。


見栄もあってか大きなケーキを1台買ったはいいんですが、アパートに帰っても1人ですからね…。


たまに遊びに行く調理師学校の同期の 友人宅にケーキを持って遊びに行く事にしました。


板前の友人はまだ仕事が終わらないみたいで、帰って来てないのよ。と、家族の方から聞きました。


クリスマスにケーキ職人がもう仕事が終わっていて、板前さんはまだ仕事に励んでるんですね…。
なんとも虚しいクリスマスでしたね。


これじゃあいかんのじゃないかな。この環境で果たしていいのか…。


クリスマスケーキは結局食べずに、板前の友人宅に差し上げてきましたね。



クリスマスも終わり、年末年始はベーカーの他のスッフは正月休み。
大晦日も元旦も正月はずっと仕事に出ました。草刈さんや伊南さんは正月に休めて喜んでいました。私は実家も遠く帰るつもりもないですしね。


ホテル特製のお節料理重にアップルパイが加わるので、年末はアップルパイを焼き続けました。


元旦の仕事初めは厨房でお屠蘇で乾杯してのスタートでした。
が、1月末でサテライトホテルを退職する事に決まっていました。





  

2015年07月20日

横浜国際花火大会【39】


7月20日の海の日は横浜港では毎年花火大会が行われていました。


山下公園や本牧、桜木町からでも観られる花火大会の日は昼過ぎから夜遅くまでJR石川町駅の改札には大行列でした。


山下公園の一本手前の通りに位置するサテライトホテルも花火大会の日は盛況でした。夕方頃からレストランは満席で、ケーキショップのケーキもいつもの2倍は作りました。ホテルの周りも人、人、人だらけでしたね。。
年に一度の忙しさも経験し、少しづつですが菓子作りの仕事に慣れてきたのだと思います。








浜田さんからカラクケーキ事件の夜、牛丼を奢ってもらいました。
『お前アホやなぁ、加減しらんちゅうか…もう、わしがおらんでも大丈夫やな…』と話ながら◯◯屋の牛丼を食べ、そのまま浜田さんはいつもの伊勢山へ向かいました。

永江チーフからはサテライトホテル近くの北京飯店にスタッフ皆で食事に何度か連れて行っていただきました。


今月は◯◯◯に行こう!とか、永江チーフからは食べ歩きによく連れて行ってもらいました。お酒は誰も飲んでいませんでしたね、ミーティングの延長のような食べ歩きでした。







7月はサテライトホテルの横浜と後楽園が合同で二班に分かれ社員旅行もありました。
後楽園と横浜の親睦を深めたり社員の慰安が目的だと思いますが、要は朝からお酒の呑める一泊二日のバス旅行ですね。ホテル飲食関係の仕事の人はお酒好きな方多かったので楽しみにしてる方も多かったですね。新入社員や若い社員達は色々こき使われる旅でした(笑)

でも今考えると、社員旅行があるホテルなんて本当良い時代でしたね。

ベーカー部門五人いる内の前半の社員旅行に私と草刈さんが参加。
後半の3人、チーフ、浜田さん、伊南さんが社員旅行に行ってる二日間は、草刈さんとふたりでベーカーを切り盛りしました。
仕事の幅も少しづつ広がり始め、菓子作りや仕事に対して深く考えるようになり、将来について考えはじめた頃でした。


※横浜国際花火大会は、交通渋滞や海上の安全面などを考慮し、平成20年までで終了したようです。





  
タグ :横浜市


2015年07月18日

情熱のカラク【38】決着



清水総料理長に呼ばれた永江ベーカーチーフ。


シェフルームから出てきたのは2、30分後でした。


朝出しのケーキ作りも終わり、今か今かと永江チーフの帰還を待っていたベーカー部門の四人。



『冨高、良かったよ!』戻ってきた永江チーフは笑顔でした。


清水総料理長の話では、
守衛さんから昨夜厨房を一晩中使用する許可が出てなかっ事を永江チーフは注意され、、

清水総料理長からは新入社員を一晩中?夜遅くまで働かせた理由を、仕事が終わらなかったのか?練習だったのかの確認をされたそうです。
会社というものは効率も重視する場所で、時間通りに仕事が終わらないのも管理能力不足とみなされるんですね。

私が個人的にやった事が、飛んだ迷惑をかけてしまったようですが、永江チーフが事情を話すと総料理長も理解していただけたそうです。

ただ、これからは事前に報告するようにと念を押されました。



カラクのケーキを大量に焼いた件は、、


明日から急に大人数の会議が何件も続く事になり、その会議に使うお菓子を急遽作れないか?どうするか、との相談がメインだったようです。


永江チーフはふたつ返事で、

『カラクだったら作れますよ。』と会議用のケーキの打ち合わせをして来たそうです!


本当、今回は正に失態をやらかしたと思ってたら、、

1,000個以上のカラクケーキは全ての会議のお茶菓子として使われ、残った僅かなケーキもホテルのショップで販売。

従業に買ってもらったりする必要もなく、全てのケーキが完売しました!


なんとそんな注文が偶然が起きるんですね!



※本当にあった実話なんですよね。




  
タグ :横浜市


2015年07月17日

情熱のカラク【37】後の祭り



練習のため一晩中カラクケーキを焼き続け、

レストランの早番の朝食係が出勤して来た事で、、
ハッとしまた、もうすぐ朝か!

取りあえず着替えやシャワーを浴びたくなりアパートに帰りました。。

シャワーを浴び服を着替え朝食代わりの缶コーヒーとトーストを食べてひと休み。暫くしてまたサテライトホテルに自転車で出勤しました。


ちょっとデスクで仮眠はしましたが、ほぼ徹夜明けのふわふわとした感覚でベーカーへ出勤すると、、


私が焼いたカラクケーキのばんじゅう(ケーキを入れる黄色いプラスチックケース)を見て、もう出勤して来ている伊南さんが、


『注文が入ったのかな?』と聞いてきました。


朝出しのケーキを作りながら、昨夜練習の為カラクを焼いたのを説明しました。


『え〜!全部焼いたの? ちょっと教えてもらいたかったな…。』と伊南さん。彼女は私と違って仕込みや焼き物は重たかったり火傷の恐れもあるので今だにケーキの仕上げ作業がメイン。なので仕込みやオーブンの仕事もチャレンジしたいようです。


草刈さんも出勤してケーキの朝出しに合流。浜田さんにベーカーからレストランに戻る辞令がでてから、私と草刈さんが慣れるため、意識的にペアを組む時間を作りはじめました。


『冨高君、こんなに焼いて何に使う…。』

『エッ、そっか!』草刈さんに言われ事の重大さに気づきました(汗)焼く事だけに一生懸命になり焼き上がったカラクの事を考えてもみませんでした!

もう後の祭りです!



1回で10台焼けるレシピを、、


10回以上繰り返し焼いたので100台以上は焼いてしまったんですよね…。


『冨高ーーー!!!』

100台を超えるカラクの前で、伊南さんから永江チーフと浜田さんが話を聞いて、浜田さんから大きな声で呼ばれました。



これは、もしかして入社式の失態以来の失態!?


ベーカー五人でカラクケーキのばんじゅうを見ながら今後の作戦を練りました。


『商品としては全部使えそうや。馬鹿かお前こんな焼いて…』と浜田さんから呆れなれ品質をチェック。


『1日売れても10個程度のカラク。カットケーキにしたら1台から10個取れるから、、1,000個以上はあるね。』と伊南さん。


『展覧会の注文をカラクばかりにしょうか。』と草刈さん。週に1、2回山手の展覧会と言う喫茶店にケーキを卸していました。展覧会も全部チョコレートケーキはダメでしょうね。


『売店でカラクのホールケーキを半額で売って、クリスマスみたいにホテル従業員からも予約を取って買ってもらおうか…。』と永江チーフ。


『冨高!俺と宮脇で1台ずつ買ってやるから〜!
お前またやらかしたの、、』と森田がレストランからやって来ました。


え?!皆んな冗談で言ってる!?

大変な事をやらかしたのか、、言葉が出ない私。


『1日1台分、カットケーキ10個売れば10日で売り切れるんじゃないですか?そんな簡単なものじゃ無いんですか…』怖る怖る聞いてみました。


そんな事を話してると、

『永江クーン、永江ーー!』ベーカーの厨房の横はガラス張りのシェフルーム。中から清水総料理長が呼んでいます!


遂にカラクケーキの件が総料理長に知れたのかも、、







  


2015年07月16日

情熱のカラク【36】情熱的な夜



ケーキ屋さんやペストリー、ベーカー部門では、朝一番で作るケーキを、朝出しと表現していました。


朝出しのミルフィーユを作り終わり、カラクの朝出しケーキを作っている浜田さんに合流しました。

『昨日はどうでしたか?』と尋ねてみました。

『昨日は帰ったら12時過ぎとった。今度付き合ったお礼に牛丼奢ったるわ。毎回歩いてるよ、伊勢山はお手伝いやからなぁ、交通費使ったら赤字やから歩くんや〜!』さすが関西人たくましい浜田さん。


『今日カラク焼いていいですか?』さっき言われた事を忘れない内に焼きたかったので聞いてみました。


『今日は焼かんでぇ。まだ在庫有るしなぁ…。
チーフに聞いてみるか。』浜田さんが永江チーフに今日の予定を聞きに行ってくれました。


『冨高イイよ!仕事をが終わったら練習で焼いていいよ〜』と永江チーフが半分冗談で、練習をしてくれる新入社員が嬉しいのか、ちょっとおどけて言いました。


永江ベーカーチーフは、『ちょっと試したいことや練習したかったら幾らでも材料と厨房を使って良いいよ。』と常々言っていました。
あの頃は材料はバターなど高価な物はあまり使えませんでしたが、技術の向上や上達の為なら惜まない、職人や料理人を育てる風潮がサテライトホテルにはありました。


1日の予定が終了し、終礼も終り、伊南さんはいつも通り小一時間ほどパイピングの練習をして『冨高君まだ上がらない?お先に…』と上がっていきました。『俺のタイムカードも押しといて!』とお願いし、遂にベーカーには私一人。


オーブンのスイッチを入れ、器具を全部揃え、早速カラクのレシピを計り作業を始めました。



20コートのミキサーに材料を入れ、バターをビーターで混ぜながら白っぽくなる迄立てていき、砂糖や卵、チョコレートを順に入れていきます……。


…出来上がった生地を型に絞り入れ、オーブンに入れ40分。。
生地を焼成してる間に三階にある従業員食堂で夕食を食べる事に。

従業員食堂にはレストランのコックさん達がテレビを観ながら食事をしていました。相原さん、兼子さんと一緒に新入社員の森田もいます。『冨高、珍しいなぁ〜』と森田が小さな声で囁いてきました。

『ああ、たまにはね…。』いつも夕方には退社してるベーカー部門の私がいるので、ビックリしたんでしょう。先輩達は私に興味が無さそうです。



『また連絡するよ!高橋さんトコ行こうぜ、、夏休み。』と森田。
高橋さんは調理学校の同期ですが、ご家庭もある40代の男性で、脱サラして伊豆にペンションを開業する為に調理学校に入学したのでした。


『じゃあ。』
お互い言葉少なに森田は先輩達の食べた食器を急いで片付け厨房へ降りて行きました。

『じゃあな。』と私も返し、、


森田も今、先輩たちに揉まれ、料理人の世界に漕ぎ出してるんですよね、

ちょっと前のブログで、

パワハラなど無いのびのびとした職場と書きましたが、あれはベーカー部門に、私に限ってなのかも知れません。レストランのコックさん達は、競いしのぎを削ってってるのかも…。


食事を手早く終わらせ、急いでベーカーに戻りオーブンを確認してみました。

うーん、バターを常温に戻すのが遅かったのか、ちょっと固かったのか膨らみが今ひとつのカラクが焼きあがりました。


私は2回目のカラクの計量をはじめました。


森田も先輩達から揉まれてるし、浜田さんも伊勢山で無報酬で働き歩いて行ってるし、、そう思うと、

自分も、お前もなにかに打ち込めよ!

そんな情熱が沸き上がったのかも知れません。


2回目のカラクは、、なかなか良い出来でした。この焼き上がりがもう一度焼けるか、、3回目を焼きはじめました。


この頃にはレストランの遅番の森田達も帰りました。

『おーい、まだやるのか?そろそろ終わりにしろよ〜』遠くのレストランの厨房から声が聞こえました。

『はーーーーい、お疲れ様です!』と返し作業を続けました。


3回目はちょっと合わせすぎたのかも知れません。生地がちょっと割れてしまいました。。


『数をこなせばうまくなるよ。』と、永江チーフは言っていたし、いくら使ってもいいと言ってたなぁ。。


4回目、5回目と計量をし、、、


6回目、7回目と焼き、、、、


もうこの辺からは何回目かもカウントせず、、

なにかに取り憑かれたように仕込んで焼成を繰り返していたんだと思います。


その日は一晩中、


レストランの朝食係が出勤するまでカラクを焼き続けてしまい、、



翌日大問題になってしまったんです!










  


2015年07月14日

情熱のカラク【35】浜田さんの秘密



仕事終わりに浜田さんから『 ついて来い。』と言われ二人で横浜駅方面へ歩き出しました。


山下町のホテルを出発し、、

神奈川県庁を通り越し、遠くに見える横浜スタジアム横も通過、関内、馬車道も越えても、まだまだ歩き続ける浜田さん。(今は地下鉄がありますが、あの頃はまだ地下鉄も有りません)


『まだですか〜?』無言のまま歩くのもなんなんで聞いてみました。


『帰ってもいいぞ。』と浜田さん。


『え?!、ついて行きますけど…。』急に帰っていいと言われても…。無茶苦茶な!と思いながらもついて行きました。


約1時間程歩き、桜木町の伊勢山皇大神宮の近くまで歩きました。


『じゃあ、ここでな。』と浜田さん。


『え、帰りは…。』固まる私。


浜田さんが言うには、
伊勢山にあるレストランをサテライトホテルに依頼され料理を請け負ってるらしく、サテライトのコックさんが働いてて、浜田さんが無報酬で手伝わせて下さいとお願いしてるようです。

もう何度も伊勢山に歩いて来てるらしく、手伝わせてもらう日もあれば、見てるだけの日もあるそうで、、今日は退屈だったのか?私を道連れに来させた様です。


それから私はまたサテライトホテルまで帰り、自転車に乗ってアパートまで帰りました。


帰り途いろいろ考えました。浜田さんに伊勢山まで連れて行かれ、ちょっと頭に来ましたが、まぁあの頃は先輩から言われれば何でも呑みにでも付き合ってましたからね。無茶苦茶な先輩はまだまだ酷い人はいましたから。
それ以上に、料理を習いたくてベーカーでの仕事が終わった後、往復二時間も歩き、無報酬でレストランを手伝う浜田さんの情熱に圧倒されました。



私も1年前は調理学校が終わったらスペイン料理店でバイトして帰宅したら10時過ぎる日もザラでした。今は夕方には仕事が終わり、休日もバイトする必要もありませんが、こんな感じで良いのかなと。。


翌日、
いつも通り出勤して仕事をはじめ、ミルフィーユをお店用に作っている時に浜田さんは出勤して来ました。


『おう!』といつ通りの時間に、いつも通りの挨拶で何も変わらない浜田さん。


浜田さんは昨日私が焼いたチョコレートケーキのカラクをスライスして仕上げはじめました。

『冨高、ココあんまり混ざってないやん。もうちょい立てた方がまだ良くなるで。』カラクの生地を割って食べながら浜田さんが教えてくれました。

『ハイ、使えますか?』と聞くとオッケーを指で出してくれひとまず安心。


そこに永江チーフがやって来て、

『回数をこなすとだんだん良くなるよ。』と言ってくれました。永江チーフは優しいのですが、その優しさがやり難かったり。浜田さんの様にストレートに言ってくれる方がやり易すかったりするんですよね。



20コートミキサー




  
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2015年07月12日

情熱のカラク【34】



ベーカー部門で仕事を教わりだして二ヶ月余り、そろそろ夏を迎えようとしていました。


相変わらず浜田さんから叱られる事も有りますが、カスタードプリンやクレームパテェシエール、チーズスフレケーキなど少しづつ作るのを任される仕事も増えてきました。

チーズスフレなど、よく失敗して膨らまない時も有りましたが、最近は上手く上がるようになり、

『これならチーズケーキ屋さんが開けるよ。』と永江チーフが褒めてくれたりする日も出てきました。


休日や仕事が早く終わった日は横浜駅まで電車に乗り、本屋さんを覗いては菓子の本を探したり、立ち読みしたりしていました。料理の本も見るんですが、製菓の本を見る方が多くなっていましたね。
この頃から少しづつケーキ作りに興味が出てきたのかも知れません。



サテライトホテルの調理部では辞令が交付されました。



チームを組んでる浜田さんが、ベーカー部門からレストラン部門へ戻る事が正式に決まりました。

しかし、浜田さんがレストランに帰るまでに私達に引き継ぎを終わらせるのが条件のようです。


浜田さんは夏が終わったらレストランに戻れ、ベーカーは1人減って四人体制。クリスマスや忙しい時は手伝うそうですが、要は浜田さんの抜けた部分を新入社員の私達三人、草刈さん、伊南さん、冨高で埋めなければなりません!



永江チーフがチーズスフレを褒めてくれたり、浜田さんの指導もさらに厳しくなったのも今思えば納得です。



浜田さんの作業の始め方は特徴がありました。


まず、作る時に使う器具を全て準備させられます。


次に材料の計量や型の準備です。


以上のものが全て揃ったら仕込みがはじまります。

そして、すべての作り方をメモに書かされました。


《*カラク*〜チョコレートのケーキ》

◯ 準備する道具

・ボール 大 ① ボール 中 ②

・ホイッパー 中 ①

・20コートミキサーのミキサーボール①

・20コートミキサーのビーター ①

・ゴムベラ 大 ① 中 ①

・ …………

※1コートは約1リットル。20コートは約20リットルのミキサー。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◯ 作り方

①チョコレートを湯煎にかけて溶かす。

②常温で柔らかくなったバターをミキサーに入れ、クリーム状になるまでビター1速で回す(約5分)

③ミキサーの回りや底の部分をよくゴムベラで払う

…こんな感じで、全ての作り方を全部メモをさせられます。



『よし、じゃあ カラクを仕込んで焼くぞ!』と浜田さんが言うと、

『はい!』と私が返事をしてボールや必要な器具を準備してテーブルに並べるのです。


『オーブン(スイッチ)入れたか?』

『湯煎(ガスの火を)つけたか?』

『じゃあやってみろ。』と浜田さん。


ここで本当に作るのではなく、作る手順を動作だけで演るんですよね、エアーでのケーキ作りです!


それが流れ通りうまく出来たらはじめて実際に材料をさわって作り出すのです。完全にアタマの中でイメージできないとやらせて貰えないんですね。

そんな浜田さんが

『冨高、今日終わったら何するん?』伊勢訛りで聞かれました。


『あ、別に…』と私が答えました。


『じゃあ、ちょっと付き合え…。』


その日は仕事が終わると浜田さんと従業員出口で待ち合わせしました。


『 着いて来い。』と浜田さんは言い、山下町から横浜駅方面へ歩きはじめました。



浜田さんが先を歩き、私が2、3歩後を歩きました。友達でもない先輩と並んで歩けないのが料理人や職人の上下関係でした。




※《カラク》

ベネゼエラのカカオの産地カラカスから由来したチョコレートのケーキの名称。






  
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2015年07月10日

若葉のころ【33】後楽園デート!?



サテライトホテル後楽園に行くために、
横浜駅に集合した新入社員は私と氷川さんだけでした。シフトの関係もあって参加者は少なかったですね(笑)

後楽園に向かう電車の中では二人でしたが、あまり話した事のない氷川さんが喋ってくれ退屈はしませんでした。

神奈川県内の高校を今春卒業して入社した氷川さんは、高校生でも充分通じるちょっと気の強い明るい女性でした。 今日は二人だけなのは承知で、彼氏とは遠距離恋愛中だし暇なので私を案内してくれるようです。後楽園に行く電車の乗り換えも全て教えてくれ、連れてってもらいました。


サテライトホテル後楽園へ訪問すると、新入社員の皆んなが歓迎してくれました。


坂下さんからは、

『え〜、二人で来たの!? カップルみたいだよ〜』と笑われましたね。


後楽園ホテルのショーウィンドウに映る私と氷川さんを見て、初めて気づかされましたね(汗)


サテライトホテル後楽園ではランチを食べ、お茶をして新入社員達の働いてる姿も拝見したり、、再会を喜びました。
まぁでも皆んな仕事中ですし、邪魔になっても困るでしょうから、早々とホテルを後にしました。


『せっかくここまで来たんだから後楽園遊園地で遊んで帰りましょう〜』と氷川さんに誘われ、乗り物に乗ったり、小学校の子供会以来の遊園地でした。

どちらかと言うと、ホテル滞在より遊園地がメイン?になった後楽園訪問でした。
あの頃は後楽園遊園地、後楽園スタジアムでしたが、今は東京ドーム、東京ドームシティですね。



後楽園ゆうえんちでたっぷり遊び、帰りの電車に乗る頃には氷川さんとはすっかり気心の知れた仲になっていました。
1日遊んで横浜駅に着いた頃には、すっかり暗くなっていて夕食の時間帯でした。


『もうこんな時間ですね、晩御飯でも食べますか…』氷川さんが聞いてきました。


『もう帰ろっか〜、じゃあまた!』私は小走りで駅の雑踏の中に消えて行きました(汗)


氷川さんからのせっかくの食事の誘いを断ってしまいました。女性と一緒に夕食を食べる勇気が無かったですね、今で言う草食系男子?でしょうか。

多分、急に氷川さんを女性として意識してしまったんでしょうか、、食事くらい付き合えないなんて情けないですね。

坂下さんにも好意を持っていましたが、友達としてでしたからね。恋愛よりも仕事の方に興味が有りましたね。。。



  


2015年07月09日

若葉のころ【32】恋も仕事!?



仕事が終わってからのパイピングの練習も1ヶ月。

伊南さんと練習をしながら、情報通の伊南さんは、


『コックさんの◯◯さんとフロント係の◯◯さんは結婚するらしい…。』とか、


『◯◯さんはサンルートから来たらしいよ。』


『後楽園の◯◯さんと◯◯ちゃんは…』などなど、、

二十代の私達は仕事が終わると、文字書きやナッペの練習をしながら近況を話したりしていました。

たまに他の新入社員やコックさんも仲間に入りながら、練習をしたり雑談したり、ベーカーの横にある調理部のデスクで、お茶を飲みながら明日のスケジュールを話し合ったりするまでになっていました。


とにかくサテライトホテルは新人や社員をのびのび育てる環境でした。パワハラやら存在しない、そんなのんびりしたホテルでしたし時代でした。


『冨高君、坂下さんに電話した?』と伊南さん。伊南さんは二つか三つ年上なのでちょっとづつ姉御っぽくなってるような。


『うん、今度サテライトホテル後楽園に遊びに行くよ〜と話したよ。休みの人達皆んなで行く事になってたよねぇ。』


『そっちは日野山さんに話した?』と私。伊南さんはひとつ先輩の日野山さんがお気に入りでした。


どこの会社でもそうかも知れませんが、新入社員の頃は仕事も大事ですが、恋にも関心がある時期ですよね。

新入社員研修の時から私が後楽園の坂下さんに好意を持っているのを知り、伊南さんが連絡先を教えてくれたのです。あの頃は新入社員同士集まると、調理師学校の時もそうですが、


『俺、◯◯さんがイイよ!』とか

『お前、誰が好きなんだよ、◯◯◯だろ?!』とか、すぐそんな話になっていましたが、今の若い人達もそうなんでしょうか。。

新入社員同士で話していて、好意を持っている人をカミングアウトするのがごくごく普通の事でしたね。

サテライトホテルでは恋愛にも大らかで、、職場結婚も多かったですね。数年後にですが森田も宮脇君もサテライトホテルで職場結婚しましたから。

ホテル側も結婚を推奨するような雰囲気が有りました。早く結婚すれば職場にも腰を落ち着け、仕事にも精進すると言う考え方でしょうか。恋愛も仕事の内みたいな。

あの頃は婚活とかは無かったですね。今は自治体や国が結婚をサポートする時代ですからね。。


入社して1ヶ月余りの若葉の頃、

サテライトホテル後楽園に新入社員の休みの人達で遊びに行く話が持ち上がりました。
後楽園と横浜のサテライトホテルは姉妹ホテル同士、新入社員達もお互い電話をするほど仲良くなっていました。



『じゃあ行ける奴らだけで後楽園へ行こう!』と、仕事が休みの新入社員で、横浜駅に集合する事になりました。


横浜駅にお土産のマドレーヌを持って集合すると、
『私達だけですね〜』と、新入社員のショップ店員の氷川さんが待っていました。


何と、
ふたりだけでサテライトホテル後楽園へて出かける事に!


『とにかく、行きましょっ!』と氷川さんに連れられ目的の電車に乗り込みました〜


めざすは東京の後楽園です!!




  
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2015年07月04日

ふぞろいの同期たち【29】休日

ホテルに就職して初めての休日。

横浜駅西口にある元バイト先のスペイン料理店に伺いました。
スペイン料理店のコックさんの土岐さんもオフの日で、待ち合わせてスペイン料理店のディナーと洒落込みました。就職祝いに奢ってもらったんですが。

土岐さんとはバイトを辞めてからも、たまに連絡をさせてもらったり、お宅にお邪魔したりしていました。

食事をしながらサテライトホテルでベーカー部門にいる事を話しました。

焼成や仕込みの計量や下準備を自分はやってて、
他の新人の草刈さんや伊南さんがケーキの仕上げをチーフと一緒にしてどんどん上達しているように見え、、。
そんな相談のような近況を話したのでした。


土岐さんは、
『お菓子のいちばん大事なのは、生地だと思うぞ。
スポンジや生地自体が失敗したら取り返しがつかねえだろ?
料理も肉や魚の火加減が命だ。焦がしたらどんなにソースや飾りでも誤魔化せねぇよ。

クリームを絞ったり飾りは失敗したらやり直す事が出来るじゃん。でも焼いた生地はやり直せねぇべ? 』


『トミタカよぉ〜、ケーキの仕上げはいつでも練習できるぞ、仕上げはセンスだからな。』


『センスっすか?、はぁ…。』と私。


『土岐さん、随分お菓子の事に詳しいッスねぇ?』私が聞くと、、今は菓子職人の女性とお付き合いしてるらしいんですよね。どおりで詳しい訳です。


久しぶりに来た元バイト先のスペイン料理店。サテライトホテルのベーカーへの道も、方向的に間違ってない?ようで心も胃袋も満たされました。



お店のスタッフや従業員からは、

『就職おめでとうーー!』

『どう?サテライト頑張ってる?』

『お前は太々しいトコが有るから、謙虚にやれよ!』


『サテライトに就職したの!?学校の近く!遊びに行くよ〜』など、皆んなに激励され有り難いものです。たった1年間でしたが、同じ釜の飯を喰った仲間達。


実を言うと、
大分の水産高校から一緒の時期に3人が上京しました。
1人は首都圏の大手スパーの鮮魚部門に就職。もう1人は関東北部の地方百貨店のこれも鮮魚部門。
あとの1人は調理師専門学校に入学した私。


お互い上京前は『一緒に会って遊ぼうぜ』と、励ましあったんですが、、いざ上京して連絡をしても皆んなそれぞれ忙しく1度も会うことも無かったんですよね…。

その後二人とは連絡すら取ってなくて、、
『友達とは、そんなものか…』と思っていましたから。


横浜に来て一年が経ち、
やっと自分の居場所を、やりたい事や仲間を見つけたような、そんな確信が少しずつ芽生えてきました。

この頃はまだ菓子の世界には腰かけのつもりでしたが。。


横浜駅西口













  
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