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2015年12月17日

災い転じて【69】



翌日、
鏡に映った顔を見ると、腫れは意外なほど引いていました。身体の痛みも昨夜よりは半減し、人間の身体の丈夫さと自然治癒力には感心しました。

しかし、腫れは引いたのですが、あざや傷は直ぐには治るものでは有りません。
…まぁ、でも昨日よりは全然マシになりましたし、目立つところには絆創膏を貼り、パティスリードレカン銀座本店に出勤しました。もしかして気付かないかも知れないしな…。


有楽町の駅で降り、プランタン銀座前を通り、カフェボンサンクを眺めながら歩くとユナイテッドアローズ♫久しぶりの銀座はテンション上がります。

大倉別館ビルの前まで来ると、、


『おはようございます〜!!』

『あざっーす!!』

後輩や先輩ギャルソン達も出勤して大声で挨拶を交わします。

『冨高さん〜!今日からっすね〜!』後輩が遠くからの手を振って挨拶してくれます。こんな自分を慕ってくれる数名のギャルソンと再会です。

『ど、…どうしたんすか!?顔!!』

やはり、皆んなをびっくりさせたみたいでした。


茅野サブマネージャーから顔を見て失笑され、呆れられました。『そんな顔じゃあお客様の前には出れないよ。治るまでパントリー!』と告げられました。


銀座本店初日は、皆んなから散々顔の傷をイジられました。
『ケンカ!?』と、声をかけられたり、あまり話した事ない上司やバイトの子達までとコミニュケーションをとれたのは、怪我の功名かも知れません。


翌日も銀座本店に出勤し、パントリーに入り、ドリンクメニューを作っていると小野マネージャーが声をかけて来られました。

『冨高、明日から厨房入ろうか…。今から(練馬)工房に顔出して来いよ。』


『サロンにも 、もうちょっと出れねぇし、、新宿三越もよう頑張ったよ。本当おめぇはいろいろ騒ぎ起こすなぁ…。』マネージャーは笑ってました。


『マネージャー、ありがとうございます!』


ついに、遂に、

夢みたレカンの厨房に入れる日が突然決まりました!!





  

2015年10月17日

辞令は突然に【61】

パティスリー ド レカンの銀座本店で働きだして1ヶ月余り、先輩のギャルソン達が朝のミーティング後に話していました。


『新宿店から黒服の石井さんが帰ってくるらしいよ。』


『代わりに新宿三越に誰が行きますかねぇ…。』


『新宿は忙しいし、、即戦力になる人じゃないとなぁ。』


『冨高さん?まだ入って1ヶ月だから無いでしょう』


『そうそう、冨高君はマネージャー達に気に入られてるから、本店から動かさないだろうねぇ。。』


先輩達の雑談を聞いていると、


『冨高君、ちょっと良い?』サブマネージャーの茅野さんから声をかけられました。


今日も銀座松屋に配達かな?それとも銀座三越か…と、配達の話かなと思っていました。


茅野サブマネ:『冨高君、横浜から通ってるんだっけ?』

私:『はい。』


茅野サブマネ:『九段下の寮には入らない?』

私:『はい、出来れば引っ越しはしたく無いです。遠くても今のアパートから通いたいです。』

銀座レカンへの入社前に、お店の寮を薦められたんですが、引っ越しはお金かかるし、面倒くさいのでお断りしていました。。


茅野サブマネ:『新宿まで通勤どれ位かかる?』

私:『今、有楽町までは45分くらいですから、、新宿までは1時間位です、新、新宿三越ですか!?』


茅野サブマネ:『明日からでも新宿三越に行ってもらえる?』


私:『はい、わかりました。』


何と、入社1ヶ月で!

パテスリー ド レカン 新宿三越店に転勤‼︎


相変わらず、波瀾万丈の修業の日々です。


次回からは大都会新宿が舞台です!!








  

2015年10月14日

パントリー【60】



ギャルソンの1日の仕事は掃除から始まります。ブティックの窓拭き、真鍮をピカールでピカピカに磨いたり、、。大理石張りのブティックの掃除はブティックの店員さんに任せ、広い絨毯張りのサロンには掃除機をくまなくかけます。

開店一時間程前になると、朝の朝礼が始まります。

マネージャーやサブマネージャーからの伝達事項が有り、厨房からはチーフかセカンドチーフも出席します。その朝礼が始まる前や後に厨房の渡辺チーフが微かに微笑みかけてくれます!
時には「頑張れよ〜!」と声を掛けてくれたり、、

パテスリー銀座レカンの入社の面接には渡辺チーフも同席されてました。初対面で会った瞬間に、、うん、この方とは波長が合いそうだなぁと感じました。この人なら付いて行けるだろうなぁと。

チーフの何気ない朝の一言で、「いつかは厨房に入って、仕事してやるぞ!」と密かに闘志を燃やしてました。


朝礼の最後に、


今日のスケジュールを伝えられ、、

「サロンのギャルソンは池田、冨高、石井、皆川、パントリーは三木。

銀座三越は、小山、◯◯、

日本橋三越は、本郷、兼子、

新宿三越のヘルプは◯◯、

デリバリーは萱島。」

そしてパテスリー銀座レカンの1日がスタート!


私はギャルソンの仕事をこなしながら、
サブマネージャーに頼まれ、銀座松屋にあるショップに徒歩で台車を押しながら銀座四丁目交差点を渡りケーキを積んだり…。
また、地下鉄を乗り継いで新宿三越店内にあるパテスリー銀座レカン新宿三越店にオーダーケーキを届けたり、、頼まれた仕事を夢中になってこなしました。

サブマネージャーやギャルソンの先輩達からは指示を出され、サロンにいる時は、逆に新入社員にも指示を出していました。

「5卓のお客様がもうすぐ帰られるから次のお客様を通して。」とか、

「あそこのテーブル、シルバーセット無いよ〜。ドリンクと一緒にセットして来て」など、、。


私は新しい新入社員が入ってからは、パントリーにも入りドリンクメニューも覚えるようになりました。







コーヒーマシンでエスプレッソを抽出したり、スチームを使ってカフェ オレや ロイヤルミルクティーを作ったり出来るようになりました。このパントリーは厨房の入口に有るんですが、厨房の空気を少しだけ感じられるのは嬉しかったですね。




パテスリー銀座レカンで1ヶ月程が過ぎ、

ギャルソンの仕事は愉しくなっていました。。






  

2015年10月06日

教育係!?【59】



ギャルソンとして働きはじめて1週間余り、新入社員が入社して来ました。私はひと通りのギャルソンの仕事がやっと1人で出来始めた頃でした。


新入社員は、皆んな厨房希望のようですが、私同様最初はギャルソン、女子は販売員からのスタート。総勢10名程入社して来ました。


私は、
「これで同期が出来たし、、サテライトホテルの頃のように皆んなと仲良くやりたいなぁ…」と思っていました。1週間前に習った事を、私が分かる範囲で新入社員に教えていると、、


「冨高君、新入社員の教育係ね!

色々教えてあげてよ〜、よろしく!!」と、サブマネージャーから言われました。


「は、ハイ! 分かりました!!」と、自分でも信じられない程の積極性で引き受けてしまいました。


私は銀座レカンが初めての新卒ではなく、サテライトホテルで1年程ですが社会人の経験も有りますが、、しかし、何で1週間程しか働いてない私が任されたのか不思議でした。


でも、
ここで教育係を引き受けて頑張ってアピールすれば、、厨房に入れるのもグーンと近づくかも!?


少なくとも1年間ホテルで菓子製造に携わった意地もありますしね、、。


その頃のパテスリー銀座レカンのスペシャリテは、ミルフィーユ オ フレーズ でした。


『しっかりとキャラメリゼして焼いたフィユタージュ。サンドしてるクリームは、クレームパテシェールにクレーム オ ブールを混ぜたコクのあるクリーム。
ミルフィーユのミルは、千枚の葉から由来してるから…』と、その日から教育係の仕事がはじまったのでした。。



シェトミタカでもイチゴの季節に予約販売するミルフィーユ オ フレーズは人気商品。

  

2015年10月03日

フランス菓子との出会い【58】


パテスリー銀座レカンで働き出して、、朝は9時前に銀座のお店に着くように、横浜石川町駅には8時前の電車に乗るようになりました。

8時前の京浜東北線の電車は通勤ラッシュのピーク。石川町駅周辺には女子校も多く、その流れに巻き込まれると大変な事に!もう身動きとれません。

何度か8時頃の電車を利用して苦労したので、15分くらい早めの2、3本早い電車に乗るように心がけるようになりました。


社員のギャルソンの勤務時間は、朝は9時から夜はお店が閉店する午後9時まででした。途中休憩が1時間程有りました。朝は自主的に1時間位早く出社したりも慣れる為にしましたね。

仕事に慣れてくると、夕方くらいに早く上がれたり、、逆に午後9時閉店してから片ずけたり、レジを閉めて売り上げを計算して夜間金庫まで入金に行ったり、、全ての業務を終わるまでやる日も有り、、。場所柄銀座ですから10時過ぎの退社の頃には横にある《白いバラ》のキャバレーのホステスさん達の出勤時間やお見送りと遭遇し、顔見知りになり挨拶を交わすようになったり、、。

一般的にみたら長時間労働の職場ですね。時代が時代ならブラック企業だったのかも知れません。

しかし、
ここで誤解の無いようにと思い書いておきたいのです。

ギャルソンの社員私達は、皆んな厨房の中で働く菓子職人をめざしての入社なんですよね。

さらに言えば菓子職人に成り、ゆくゆくは自分の店を持ち独立したかったり、或いは一流のシェフや製菓長をめざすような人達が全国から集まっている集団です。
厳しいのは承知の上で、人生の全てをかけて入社していると言っても過言では有りませんでした。

ここ最近はちょっと流行りのパティシエと言う職業になってしまった感がありますが、、昔は菓子職人、まさに職人でした。その職を司る人間になるにはやはり厳しい修業が必要ではないか。と、個人的には思います。
菓子職人としての技術を身につけ、ゆくゆくはお店も持ちたいのですから、、登竜門的なギャルソンの仕事や店舗運営、日々の業務で根をあげていると、、
「こいつは厨房にはまだまだ入れれないな…」とマネージャークラスが判断する訳なんですよね。

パテスリー銀座レカンの日常は、とにかく忙しく、超繁盛のパテスリーでした。サロン ド テ は常にウェイティング!
1階のケーキ売り場のブティックからサロンの地下1階に降りる螺旋階段には毎日長蛇の列!! タレントさんや有名人の来店も多く、、サロンは1日に何回転も客が入れ替わり、、お客様が帰ったらテーブルを片付け次を入れ、また次を片付けたら新しい客を入れてオーダーを取ってサービスする、、あっと言う間に1日終わる様な日々でした。毎日レジを締めることも有りましたが、あの頃1日のサロンの売り上げが、、『今日は50万超えた〜!』とギャルソンやマネージャーと話して喜んでいましたね。上のブティックと合わせると100万以上の売り上げの日もあったような。。今のスイーツブームなどはまだまだ始まってない平成元年の頃でしたから、、衝撃的でしたね。

*一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一*

※パテスリードレカンは2008年頃に閉店。

フランス料理店な銀座レカンとパティスリード レカンは姉妹店ですが、経営はまったく別の組織でした。フランス料理店の銀座レカンや系列のレカングループは現在も営業しています。

*一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一*


そんな凄まじい忙しさの中で唯一の楽しみが、、
ケーキの製造上発生するケーキの切れ端や破損したケーキ、販売期限の過ぎたケーキの試食でした!


はじめて食べた銀座レカンのケーキ達は、、衝撃的な美味さでした!!

こ、これがフランス菓子か、、!?と唸りました。




  

2015年09月25日

ギャルソン【57】



ギャルソン(ウェイター)見習いからスタートした東京銀座のフランス菓子店修業。


メニューも仕事にもフランス語。


英語も英検4級レベルなのにフランス語!?

でも仕事となれば覚えるしか有りません。

いや、毎日使っていると覚えてしまうものでした。


パティスリーレカンで働きながら感じたんですが、、

フランス菓子やフランス料理を学ぶ上でフランス語は自然に使うようになるんですね。
スペイン料理を学ぶとスペイン語を覚え、イタリア料理ならイタリア語。関西に住んだら関西弁。東京で働き出すと標準語を使い出すように、その環境にいれば必然的に覚えてしまうのが言葉なのかも知れません。。


ギャルソンをはじめた当初、

お客様からオーダーを取る時、

伝票を書く時、オーダーをフランス語で伝える時、

私がまごまごしていると、、一緒に働いているアルバイトの女性たちが直ぐに教えてくれるんですよね。

バイトの女性たちは有名女子大の学生や客室乗務員をめざす人など、、フランス語が堪能でした。銀座の高級フランス菓子店はアルバイトにも厳格な採用規準があったようでした。


教えてくれるのは有り難いですが、こっちは社員。バイトの女性たちに教えてもらってばかりも情けないなと、何度も書いて覚えました。


二十代の頃のレシピノートにはメニュを書いて覚えた形跡が…。


ギャルソンのスタッフ達は、ほとんどか1年前に入社した厨房希望の社員でした。もう2年もギャルソンをやってて、厨房に入れるのを今か今かと待ってる人がいたり、、。皆私と同世代の二十歳前後でした。

フランス菓子の一流店には、全国からスタッフが集まり若いギャルソンが10〜20人程、販売専門の黒服スタッフが10名程。アルバイトの女性達は把握できない程登録されてました。
上層部はマネージャーが1人、サブマネージャーが2人。鬼のように怖いMシェフが全ての権限を持っていて、マネージャーとサブマネージャーが補佐する形のようでした。


『1週間後には新入社員が10人位入ってくるよ。君は彼らより早いからラッキーだったなぁ〜』ホールの黒服スタッフの石井さんから聞かされました。


厨房には20人程のパテェシエがいるようですが、私にはまだ踏み込めない雲の上の世界でした。。




  

2015年09月20日

Un café , S'il vous plait.【56】


パティスリー ド レカン のギャルソン1日目


『どんなお客様がいらっしゃって、どんな商品をお求めになるのか…。お客様が何を求めているか分からないとなぁ。それがギャルソンの仕事だよ。』


『冨高君も、いきなり厨房に入ってもケーキの名前も何もわからないから、お店でサービスをしながらいろいろ憶えなさい。』と茅野サブマネジャーから説明がありました。


ギャルソンとはウェイターの事ですが、しばらくはギャルソンをしながら厨房に入る順番待ちのようです。


先ずは実戦あるのみがレカンスタイルで、お客様が帰られたテーブルのお皿をトレーに乗せて片付ける仕事からのスタートでした。


『次はあそこのテーブルにケーキを運んで〜!』と言われ、見様見真似でトレーを使いドリンクやケーキを運びました。





それが慣れてくると、、メニューを渡され、覚えるようにと30分程時間を与えられたました。


pâtisserie銀座レカンでは、オーダーやメニュー、日頃の会話もフランス語でした。


例えば、

お客様から一杯のコーヒーのオーダーを受けると、

伝票に


[Un café ]と書き、


厨房にいるドリンク担当の方に、

『 Un café , S'il vous plait.〜! 』
訳)アン キャフェ シブヴプレ〜!

と、フランス語でオーダーを通し、伝票を渡します。


すると厨房から返事が、


『 Oui, monsier.〜!』
ウィ、ムッシュー!

と、帰ってきます。


さぁ、ついにギャルソンの仕事が、フランス語の勉強からはじまりました!









  

2015年09月15日

銀座デビュー【55】


pâtisserie レカンには横浜石川町駅から京浜東北線で有楽町まで45分程通勤時間にかかりました。

まぁ電車で1時間以内ならそんなに通勤も苦になりませんでした。電車の中は単行本を読む読書の時間に充てました。

パティスリー ド レカンへの初出勤で店に行くと、、白いシャツとグレンチェックのジャケット、蝶ネクタイに黒ズボンを渡されました。

どうやら私もギャルソン(ウェイター)からのスタートでした。pâtisserie銀座レカンの本店は1階がケーキ売り場のブティック。地下1階に30席程のサロン ド テが有り、奥に厨房を併設していました。

1階のブティックに並ぶケーキを見ると、、500円以上が中心で、シュークリームもショートケーキも無いバリバリのフランス菓子です。棚にはガラスのバカラやフランスのリモージュ焼きの陶器に入ったボンボンショコラが◯万円のプライスカードが付いています。


地下のサロン ド テに降りる絨毯張りの螺旋階段には

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ジーンズやサンダルなどの軽装での来店、
小学生以下のお子様のご入場は誠に勝手ながら
御遠慮させて頂きます。

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と記した案内板が有りました。
正統派フレンチレストランのパテスリー部門は大人をターゲットにした店作りでした。

地下1階のサロン ド テ のメニューは全てフランス語で日本語でカナはふってありましたが。

コーヒー、紅茶が ¥600

カフェ オ レ や エスプレッソが ¥700

今から26、7年前の、平成のはじめの頃の価格でしたから、ケーキもドリンクも横浜のサテライトホテルより高い価格帯で銀座の有名店の物価の高さに驚きました。







  

2015年09月13日

再就職先決定【54】

神戸の旅から帰宅した日、横浜のアパートに電話を頂きました。


「パティスリー銀座レカンのマネージャーの小野ですが、冨高君?」

「来週からお店に来れるかなぁ。じゃあ宜しくなぁ!」


実を言うと、、

サテライトホテルを退社した後《パティスリー ド銀座レカン》に面接を受けに行きました。



数ヶ月前、

スペイン料理店のコックさんの先輩の土岐さん宅にアルバイト情報誌が置いてありました。


アルバイト情報誌を何気に見ながら土岐さんと話していました。


「どこか有名なお店の求人とか出てないですかねぇ、土岐さん。」


「有名な店かぁ…。マキシム ド パリとかパティスリー 銀座レカンは今、日本でもトップクラスだろうなぁ。滅茶苦茶厳しいだろうなぁ…。でも社員は募集してねぇぞ。販売員とかバイトの求人だぞ、冨高。」


アルバイト情報誌に、東京にある有名レストラン《マキシム ド パリ》と東京銀座にある《銀座レカン》のアルバイトの求人が載っていました。


その頃の《パティスリー銀座レカン》はフランス人シェフパティシエの巨匠、ジャン ミエ氏が監修するフランス菓子が評判で、菓子業界では超有名店だったようです。が、私はそんな有名店だとは知りませんでした。


サテライトホテルを退社後、《銀座レカン》のアルバイト情報が載っているのを発見し、どんなお店か興味も有り連絡してみました。


「ホテルで洋菓子職人の経験が有りますが、菓子製造の募集はしてないでしょうか。」と尋ね面接のお願いをしました。

ダメもとで頼んでみたら《銀座レカン》さんが、面接をしますから来て下さいと返事を頂いたのでした。


面接ではやはり有名店ですね。厨房で働くのは順番があり、10人以上の順番待ちがあると聞かされました。
銀座レカンは銀座四丁目交差点にフランス料理のレストランが有り、私が希望するパティスリー=菓子部門は有楽町に有り、新宿三越に支店、銀座の三越、日本橋高島屋に販売店が有りました。
レストランの姉妹店のボンボワザンやプティボワザンが九段下や都内にあり、コック志望や菓子職人志望は系列のレストランやパティスリーで給仕係(ギャルソン)をしながら順番待ちをするシステムのようです。

面接をして頂いた小野マネージャーから、

「今すぐは必要ないから、採用だったらまた連絡するよ。」と言われましたので、多分不採用だろうなぁ…と思って忘れていました。


神戸から帰宅した日、《銀座レカン》から採用の電話が!


おお神様!

なんてGOODタイミングでしょう!!