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2015年09月25日

ギャルソン【57】



ギャルソン(ウェイター)見習いからスタートした東京銀座のフランス菓子店修業。


メニューも仕事にもフランス語。


英語も英検4級レベルなのにフランス語!?

でも仕事となれば覚えるしか有りません。

いや、毎日使っていると覚えてしまうものでした。


パティスリーレカンで働きながら感じたんですが、、

フランス菓子やフランス料理を学ぶ上でフランス語は自然に使うようになるんですね。
スペイン料理を学ぶとスペイン語を覚え、イタリア料理ならイタリア語。関西に住んだら関西弁。東京で働き出すと標準語を使い出すように、その環境にいれば必然的に覚えてしまうのが言葉なのかも知れません。。


ギャルソンをはじめた当初、

お客様からオーダーを取る時、

伝票を書く時、オーダーをフランス語で伝える時、

私がまごまごしていると、、一緒に働いているアルバイトの女性たちが直ぐに教えてくれるんですよね。

バイトの女性たちは有名女子大の学生や客室乗務員をめざす人など、、フランス語が堪能でした。銀座の高級フランス菓子店はアルバイトにも厳格な採用規準があったようでした。


教えてくれるのは有り難いですが、こっちは社員。バイトの女性たちに教えてもらってばかりも情けないなと、何度も書いて覚えました。


二十代の頃のレシピノートにはメニュを書いて覚えた形跡が…。


ギャルソンのスタッフ達は、ほとんどか1年前に入社した厨房希望の社員でした。もう2年もギャルソンをやってて、厨房に入れるのを今か今かと待ってる人がいたり、、。皆私と同世代の二十歳前後でした。

フランス菓子の一流店には、全国からスタッフが集まり若いギャルソンが10〜20人程、販売専門の黒服スタッフが10名程。アルバイトの女性達は把握できない程登録されてました。
上層部はマネージャーが1人、サブマネージャーが2人。鬼のように怖いMシェフが全ての権限を持っていて、マネージャーとサブマネージャーが補佐する形のようでした。


『1週間後には新入社員が10人位入ってくるよ。君は彼らより早いからラッキーだったなぁ〜』ホールの黒服スタッフの石井さんから聞かされました。


厨房には20人程のパテェシエがいるようですが、私にはまだ踏み込めない雲の上の世界でした。。




  

2015年09月20日

Un café , S'il vous plait.【56】


パティスリー ド レカン のギャルソン1日目


『どんなお客様がいらっしゃって、どんな商品をお求めになるのか…。お客様が何を求めているか分からないとなぁ。それがギャルソンの仕事だよ。』


『冨高君も、いきなり厨房に入ってもケーキの名前も何もわからないから、お店でサービスをしながらいろいろ憶えなさい。』と茅野サブマネジャーから説明がありました。


ギャルソンとはウェイターの事ですが、しばらくはギャルソンをしながら厨房に入る順番待ちのようです。


先ずは実戦あるのみがレカンスタイルで、お客様が帰られたテーブルのお皿をトレーに乗せて片付ける仕事からのスタートでした。


『次はあそこのテーブルにケーキを運んで〜!』と言われ、見様見真似でトレーを使いドリンクやケーキを運びました。





それが慣れてくると、、メニューを渡され、覚えるようにと30分程時間を与えられたました。


pâtisserie銀座レカンでは、オーダーやメニュー、日頃の会話もフランス語でした。


例えば、

お客様から一杯のコーヒーのオーダーを受けると、

伝票に


[Un café ]と書き、


厨房にいるドリンク担当の方に、

『 Un café , S'il vous plait.〜! 』
訳)アン キャフェ シブヴプレ〜!

と、フランス語でオーダーを通し、伝票を渡します。


すると厨房から返事が、


『 Oui, monsier.〜!』
ウィ、ムッシュー!

と、帰ってきます。


さぁ、ついにギャルソンの仕事が、フランス語の勉強からはじまりました!









  

2015年09月15日

銀座デビュー【55】


pâtisserie レカンには横浜石川町駅から京浜東北線で有楽町まで45分程通勤時間にかかりました。

まぁ電車で1時間以内ならそんなに通勤も苦になりませんでした。電車の中は単行本を読む読書の時間に充てました。

パティスリー ド レカンへの初出勤で店に行くと、、白いシャツとグレンチェックのジャケット、蝶ネクタイに黒ズボンを渡されました。

どうやら私もギャルソン(ウェイター)からのスタートでした。pâtisserie銀座レカンの本店は1階がケーキ売り場のブティック。地下1階に30席程のサロン ド テが有り、奥に厨房を併設していました。

1階のブティックに並ぶケーキを見ると、、500円以上が中心で、シュークリームもショートケーキも無いバリバリのフランス菓子です。棚にはガラスのバカラやフランスのリモージュ焼きの陶器に入ったボンボンショコラが◯万円のプライスカードが付いています。


地下のサロン ド テに降りる絨毯張りの螺旋階段には

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ジーンズやサンダルなどの軽装での来店、
小学生以下のお子様のご入場は誠に勝手ながら
御遠慮させて頂きます。

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と記した案内板が有りました。
正統派フレンチレストランのパテスリー部門は大人をターゲットにした店作りでした。

地下1階のサロン ド テ のメニューは全てフランス語で日本語でカナはふってありましたが。

コーヒー、紅茶が ¥600

カフェ オ レ や エスプレッソが ¥700

今から26、7年前の、平成のはじめの頃の価格でしたから、ケーキもドリンクも横浜のサテライトホテルより高い価格帯で銀座の有名店の物価の高さに驚きました。







  

2015年09月13日

再就職先決定【54】

神戸の旅から帰宅した日、横浜のアパートに電話を頂きました。


「パティスリー銀座レカンのマネージャーの小野ですが、冨高君?」

「来週からお店に来れるかなぁ。じゃあ宜しくなぁ!」


実を言うと、、

サテライトホテルを退社した後《パティスリー ド銀座レカン》に面接を受けに行きました。



数ヶ月前、

スペイン料理店のコックさんの先輩の土岐さん宅にアルバイト情報誌が置いてありました。


アルバイト情報誌を何気に見ながら土岐さんと話していました。


「どこか有名なお店の求人とか出てないですかねぇ、土岐さん。」


「有名な店かぁ…。マキシム ド パリとかパティスリー 銀座レカンは今、日本でもトップクラスだろうなぁ。滅茶苦茶厳しいだろうなぁ…。でも社員は募集してねぇぞ。販売員とかバイトの求人だぞ、冨高。」


アルバイト情報誌に、東京にある有名レストラン《マキシム ド パリ》と東京銀座にある《銀座レカン》のアルバイトの求人が載っていました。


その頃の《パティスリー銀座レカン》はフランス人シェフパティシエの巨匠、ジャン ミエ氏が監修するフランス菓子が評判で、菓子業界では超有名店だったようです。が、私はそんな有名店だとは知りませんでした。


サテライトホテルを退社後、《銀座レカン》のアルバイト情報が載っているのを発見し、どんなお店か興味も有り連絡してみました。


「ホテルで洋菓子職人の経験が有りますが、菓子製造の募集はしてないでしょうか。」と尋ね面接のお願いをしました。

ダメもとで頼んでみたら《銀座レカン》さんが、面接をしますから来て下さいと返事を頂いたのでした。


面接ではやはり有名店ですね。厨房で働くのは順番があり、10人以上の順番待ちがあると聞かされました。
銀座レカンは銀座四丁目交差点にフランス料理のレストランが有り、私が希望するパティスリー=菓子部門は有楽町に有り、新宿三越に支店、銀座の三越、日本橋高島屋に販売店が有りました。
レストランの姉妹店のボンボワザンやプティボワザンが九段下や都内にあり、コック志望や菓子職人志望は系列のレストランやパティスリーで給仕係(ギャルソン)をしながら順番待ちをするシステムのようです。

面接をして頂いた小野マネージャーから、

「今すぐは必要ないから、採用だったらまた連絡するよ。」と言われましたので、多分不採用だろうなぁ…と思って忘れていました。


神戸から帰宅した日、《銀座レカン》から採用の電話が!


おお神様!

なんてGOODタイミングでしょう!!










  

2015年09月12日

旅の終わり【53】

そんな遊んでばかりの私を見兼ねて

「いつまでおる予定?」と姉が聞いてきました。

そんな風に聞かれ、とっさに「もう帰るよ。」と口をついて出ました。

居候の身は相手から煙たがられ始めたら上手くいきません。そんなつもりの無い姉のひと言で横浜へ帰る決心がつきました。

帰る日の未明まで最後のビリヤードに興じ、三浦ちゃんと別れの挨拶をし、再会を誓い神戸を旅立ちました。。

一ヶ月余りの神戸の気ままな生活でした。が、そろそろ仕事がしたくなった頃でした。


横浜のアパートに帰った日、運命の電話が有りました。


そしてその電話から、私の生活がまた動きはじめました。。


  

2015年09月08日

大分遠征


トイレンナーレのある府内町へ




本日大分ふるさとまつり最終日


トキハ本店へ1週間の出店中〜

やっと千秋楽!



  

Posted by トミ at 05:14Comments(0)ブログ

2015年09月03日

神戸紀行【52】

高校時代に同じ下宿だった三浦ちゃんとは臼杵の街でもよく遊んでました。遊ぶといってもあの頃は、お好み焼きを食べに行ったり、生協にうどんを食べに行ったり、、男子下宿生の遊びは食べる事ぐらいでしたが。

高校を卒業して2年余り

同級生と再会し意気投合となりました。

神戸の食品メーカーに勤務してる三浦ちゃんは、自家用車で明石に近い西神戸まで来てくれました。

その日から神戸の街を西へ東へ三浦ちゃんの車で駆け巡りました。

洋菓子の街神戸には有名なケーキ屋さんも連ねていて、ハイジ、ビゴの店、ふーけ、、、神戸の南京町、商店街、ハーバーランド、、いろんな店や場所に連れてってもらいました。




姉が通ってる大学を訪ね大学生気分を味わったり、

プールバーで夜通しビリヤードをしたり、

六甲山へドライブしながら夜景を観に行ったり、

またある日は伊丹空港へ飛行機の発着を真近に見るスポットへ繰り出したり、、毎日では無いですが、時間を作っては私をいつも三浦ちゃんは連れ出してくれました。高校時代の旧友と再会し、彼もうれしかったようですが、私も心から笑い楽しんだ日々でした。