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2016年07月18日

4次面接【78】



横浜のみなとみらい、MM21のホテルの入社試験は遂に4次面接まで進みました。


最後の最後の面接の担当者から

『冨高さんは石川町で地元だから、最初にフロントをやってみませんか?近いから直ぐ来れるしね。』

『まだ若いし、ホテルの楽しさを体験してもらいたんですよ〜!』と、ホノルルのインターコンチネンタルホテルに勤務されてるらしい面接を担当された有賀さんから言われました。

横浜のインターコンチネンタルホテルを開業する為、準備室には世界各地から特別招集さたスタッフ達で編成されてました。


『はい、分かりました!是非フロント係でも何でもチャレンジさせて下さい。』私は答えました。


4次面接の最終面接を終えてから、昔の横浜での職場に結果を報告に行きました。


最初にアルバイトをしていたスペイン料理店と次に働いたサテライトホテルヨコハマです。


『フロント係をやらないかって言われたんですよ!
調理(ペストリー)希望なんですけど…』と私。



『多分それは、、不採用だろなぁ〜』スペイン料理店からもサテライトホテルの永江チーフからもそう言われました。

やっぱり普通はそうですよねぇ、ペストリーキッチン希望で受けた試験なのにフロント係を勧められわけですから。フロントの知識も勉強も学校にも行ってない私にフロントを進める真意は、、意味不明でした。



でももし採用になったら、フロント係で働く気持ちに成っていました。若さゆえの柔軟性と言いましょうか。私の性格なのかも知れません。


ただ、面接官もそうですが、まだ準備室の段階なので全てが手探りな雰囲気は有りました。まだ誕生していないホテルをみんなで作っていこう!!

これからはじまる未知のホテルへの憧れ、外資系ならではの大胆さ、新しいモノを生みだそうよ!そんな情熱だけは、ひしひしと伝わってきました。







  

2016年07月07日

石の上にも三年【77】


3年弱務めた都内のフランス菓子店。

パティスリードレカンに退職の意思を伝え、退職願いを提出しました。

退職までの数ヶ月は、、勝ち負けを気にしない消化試合のようなものでした。

どこの職場でもそうですが、退社の意思を伝えてから退社するまでは居心地良くないですね。

3年弱とうい勤続期間は短いように思われますが、私の中では想定内でした。

色んな店を大体2〜3年で学んで吸収して回ろうと言うスタイルは、あの頃の(菓子)職人の世界では皆んなそうしてたように思えます。
お店との相性が合えば長期間の勤務も有りですが、私の場合は、あまり良くなかったですからね笑

パティスリードレカンに勤務しながら、横浜の西区みなとみらいに建設中の世界120ヶ国に有る外資系ホテルのへの入社試験は受験していました。。