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2015年06月09日

純情レストラン【9】〜当たって砕けろ

翌日、
西山さんの代わりに入って来た社員さんは、
料理経験の無い男性でした。


私はいつも通り学校が終わってからバイトに出勤。


『バイトのトミタカです、よろしくお願いします。』


『あっ、よろしくお願いします、金城です。』


私が出勤した夕方には、金城さんはひと通りコックさん達に洗い場の仕事を教わり、洗い物も終わり一息ついて和気あいあいと和んでたトコでした。


西山さんがいなくなっても、普通に回ってるキッチン。いや逆に新しい風が入り風通しが良くなったのかもしれません。
組織というものは一つ欠けてもビクともしないんだなぁ…と感心したり、ちょっと西山さんの居ないキッチンが寂しかったり。


私はサラダ場に入りマリネやドレッシングの在庫をチェックしたり、先輩コックから頼まれた玉葱のアッシェ、野菜の下準備を始めます。。


『アルバイトなのに凄いねぇ〜』金城さんは私の事をコックさん達から聞いて感心してるようですが、これも調理学校よりバイトのお陰かも知れません。


金城さんが入った事で、私は夕方からと土日中心のアルバイトに戻り、調理学校も出来るだけ毎日行くようになりました。


調理学校に行くと私達のようなバイト生と、非バイト生に自然とグループが分かれましたね。


『東口の◯◯◯◯◯でバイトしてるから来てよ〜』

とか『西口の居酒屋?行く行く!!』、

『誰か、俺のやってる焼肉屋でバイトしない?』とか、

求人情報から店の宣伝までバイト談義に花が咲いてました。


そんな中に、私と森田君、吉田君の3人でマドンナ的存在で前から気になっているひとつ年上の多岐元さんが、
『コーヒー飲みに来てよ〜』と言う言葉を3人は聞き逃しませんでした!


僕と吉田君と森田君は、ランチタイムに緊急会議を開き、、



3人のうち誰が彼女と付き合えるか!?


いやいや、先ず、誰がデートに誘えるか競う事になったのです!!


今思い出しても恥ずかしいですが、皆んな18.9の頃ですからね、純情でしたね〜笑



















  

2015年06月08日

スペイン料理店でバイト編【8】〜青天の霹靂

バイト先のコックさん達と仲良くなりはじめてた頃


いつも通り夕方に出勤すると隣のサラダ場の西山さんが居ません。
レストラン街の中にあるスペイン料理店は定休日はない。ローテーションで従業員さん達はお休みを取るシステムでした。


サラダ場の西山さんが休みの日は、
ストーブ前の土岐さんやチーフの白鳥さんがヘルプでサラダ場に入ってくれます。肉や魚を扱うコールドテーブルの北さんがデシャップのチーフを補佐し、もう一人のオーブン鈴木さんがストーブを1人でこなしたり、、担当ポジションが休みの日はお互いサポートし合うコックさん達。。

普段は淡々と寡黙に仕事をしてるコックさん達ですが、急に忙しくなったり、何かアクシデントが発生すると、絶妙の連携、コンビネーションを魅せてくれるんです!

西山さんがお休みの日は、私も洗い場を1人で回し、その頃にはサラダのドレッシングやマリネを仕込んだり、仕込みの野菜を切らして貰ったり、サラダのオーダーを作らせてもらえたり、仕事の幅もちょっとづつ広がっていました。


翌日も西山さんは来ない。

『西山さん 今日も休みっすか?』白鳥チーフに恐る恐る聞いてみると、、

『あいつ 来ねえンだよ… 』

『マサル、明日ちょっと見て来いよ…。』

他のコックさん達は動揺する事もなく、淡々といつも通りの仕事をこなしています。


翌日は調理学校には行かず、朝から上大岡の西山さん宅を訪ねました。この頃には『俺はスペイン料理のコックになるんだ!』と勝手に思い込み、調理学校の友達の森田君や吉田君にも豪語してましたね笑

どうせスペイン料理のコックになるんだから学校に行くより、現場のスペイン料理店で働いた方が腕が上がるだろうとバイトばかり入れて貰ってましたね。


そんな憧れのチーフが、多分冗談半分で言ったのが、頼りにされてて、コックさん達の仲間入りをしたようで嬉しかったンでしょうね。


学校を休んで西山さん宅に行ったのは叱られました(笑)そういう所もしっかりしたお店でした。



『西山さん、 トミタカで〜す! おはようございます…』


在宅の気配は有るんですが、答えてくれません。。



『どうしたんですか〜、具合でも悪いんですか?』


『 ……… 。』


『出てくるまで帰りませんよ〜!』


先輩に対して失礼かとも思いましたが、何を言っても返事は無し。その日は諦めバイトに向いました。


翌日は調理学校に行ってから西山さん宅を訪ねました。2日連続来た、しつこさに面倒くさくなったのか、、インターホン越しですが話してくれました。

『自分は調理学校も出てない…最近上達しないし、トミタカみたいな若い子に抜かれるかも知れない……続ける自信が無い……。』


ショックでしたね。

西山さんの一番弟子と自他共に話していて。料理人にしてはちょっと優し過ぎ、ネガティヴな人だなとは感じてましたが、憧れの先輩でした。


友達もあまりいない都会生活でやっと出来た先輩。


親しくなれた先輩と一緒に仕事が出来なくなるのがショックで、沈んだ気持ちで白鳥チーフに報告しました。



『マサル、明日からサラダ場と洗い場担当な。』


『 エ?!』



『新しいコックが入ってもお前が教えろよ。明日から来るから。』



えーーーー?!


昇格 ?!


西山さんの事で落ち込んでる暇は有りません!


人の出入りが激しいのは飲食業界の常。
やる気があるのは誰でも大歓迎だけど、気持ちが切れた料理人を引き留めたりしないんだ。と白鳥チーフ。

来るものは拒まず、去る者を追わないのもあの店の流儀でした。


白鳥チーフはこうなる展開を早くから読んでいて、もう次の手を打っていたのかも知れません。。


  

2015年06月06日

スペイン料理店でバイト編【7】〜料理人の面々

上京してひと月余り


春からはじめたスペイン料理店の厨房でのバイトも夏服になる頃には少しは慣れてきました。。


慣れてきたかな…と思っていると現実の厳しさを思い知る事になり。

平日はまぁなんとか1人で洗い場をこなせるようになってきました。しかし相変わらず土日のランチタイムなどは逃げ出したいような洗い物の山!

あたふたする私を見かねてか、チーフの白鳥さんが、

『マサル! 外行ってアタマ冷やして来い!!』と怒鳴られる事も。


横浜駅の地下街にあるスペイン料理店は、忙しい時間帯は厨房も店内ものぼせるような熱気。


そんな緊張感で張り詰めた時間帯になると、コックさん達はちょっと気分転換に5分か10分前後、一服に地下街を上がり、地上でうまい空気を吸いに行くんです。
一服が終わったら、溜まったオーダーや仕事をあっと言う間に片付けちゃう!料理人とは凄いモンで、しっかり自分の仕事をこなせば誰も文句は言わない。


そんな、個人を尊重する独特な雰囲気が料理人の世界には、あのスペイン料理店にはあったような気がします。


料理人の世界がちょっとづつわかり始め、
サラダ場の西山さん、火を使うストーブ前の土岐さん宅は上大岡駅近くにあり、度々遊びに行くようになり、可愛がってもらえるようになり始めたのでした。。









  

2015年06月05日

スペイン料理店でバイト編【6】〜奮闘中

『お願いしま〜す!』とホールスタッフが洗い場に声をかけながら食器を置いていきます。

私も『ハイ〜!』と言いながらテキパキと洗い物を受け取り食器洗いに励みます。

洗い場の横に、厨房とお店の出入り口があり通路になっていて、コックさん達が出入りするんですが、


『頑張れよ〜!』と励ましてくれたり、

『先にこの食器から洗っちゃいな。』とアドバイスしてくれたり、少しづつ仕事の いろは をコックさん達が教えてくれるようになりました。


洗い場兼雑用係の見習いの身は忙しい!


調理師学校が終わったら夕方5時にスペイン料理店に出勤。

出勤したら先ずは倉庫に頼まれた食材を取りに行きます。ピーマンや玉葱、ニンニク、海老やタコの冷凍の塊やムール貝。米や小麦粉、赤ピーマンの缶詰、その日によって量や種類が多岐に渡ります。

倉庫から厨房に運んだ食材はぞれ適切に処理していきます。ニンニクや玉葱はポリ容器に入れて水に浸けて皮を剥く準備をし、、タコやイカ、有頭エビや芝海老は凍っているので流水に当てたり、、。

そこまでの下ごしらえの準備をすると、横浜駅の地下街に食材の買い出しに出発!

ディナーに使うフランスパンを今日は10本!いや昨日は足りなくなったから12本な!とか、

『おい!魚屋で鱈子も買って来てくれ!!』と頼まれ、夕方の地下街へ早足に向かいます。


買い出しから帰ると、先程段取りしてた玉葱やニンニクの皮を剥いたり、海老やイカの皮を剥いたり、
ムール貝の掃除、レタス剥いて冷水に浸けたり、、先輩コックの指定された方法で下ごしらえします。

そして少しづつレストランのテーブルがお客様で埋まっていき、夕方7時過ぎか8時くらいには、

『ウェーティング始まりました!!』とレストランスタッフが厨房へ大声で知らせてくれます。満席になりウェイティング開始です。


その頃には厨房も大忙し!


『3番テーブル パエリヤ マリスコス上がり!』とか、

『12番 メインお願いしまーす、、』や、

『西山! ◯番のサラダまだかよ〜!』などオーダーや催促、料理の進行状況が伝えられ、、

正に厨房は戦場と化すのです!


そして、

厨房のコックさんからは、洗い場の小僧の私にも、


『マサル! ライス皿足りねぇぞ、3枚!!』と催促されたり、


ホールスタッフから
『シルバーお願いしまーす!!』と、こっちも催促。

さっき洗った食器やシルバーを急いでタオルで拭き上げ渡すのです!!

そのシルバーをホールスタッフがテーブルにセッティングし、料理をやっと運べるのです。


私も洗い場をしながら、ライス皿にライスをよそって出したり、フランスパンをコース料理の数に合わせてカットしてオーブンに渡したり、、


忙しさもピークに達するのですが、この緊張感と連帯感が堪らなく心地良く、レストランや料理人の仕事に魅了されていくのです。


数年後にバルセロナオリンピックを控え、スペインブームに沸いていた老舗のスペイン料理店は、飛ぶ鳥を落とす勢いの連日の忙しさでした。。
















  

2015年06月03日

ブエノス ディアス【5】〜オリーブ香る厨房では

ブエノス ディアス!

陽気に挨拶してくれる横浜のスペイン料理店。

ブエノス ディアス はスペイン語で『おはようございます!』ですが、朝でも昼でも夜でも出勤した時は、『おはようございます。』が飲食店の常識なのはバイトをはじめてから知りました。


スペイン料理店でのアルバイトは洗い場兼雑用係。


18才の私が一番年下で、厨房には5人のコックさんとひとりのシェフが働いておりました。お店のホールスタッフは店長さんとパートさんやアルバイトさんが3名〜6名。シフト制で時間によってアルバイトやパートさん、コックさん達が入れ替わるシステムです。


面接を受けてから2、3日後からバイト初出勤。

それは、、オリーブと香ばしいニンニクの香りがする陽気な厨房の中では、

食器の洗い物の山との格闘のはじまりだったのです!

次から次に運ばれて来るお皿、シルバー(ナイフやフォーク、スプーン)、グラス(コップ)、鍋やフライパン…

お皿に残った食べ残しを取り除きながら、どんどん水を張ったシンクに漬けていきます。そして片っ端から洗剤を付けたスポンジで洗い洗浄機に並べていくんです!!もうその量が半端ない(笑)

しかし、若いし元気だけは有るのでこっちも洗い物に負けまいと果敢に洗い続けます。

中々終わらない洗い物ですが、私の横がサラダ場で、サラダを作ったり野菜の下ごしらえをしている先輩コックさんが様子を見ながら洗い物を手伝ってくれるんです。

そんな横にいるコックさんを見て、、口数は少ないんですが、粋で優しいし、かっこいいなぁ〜って憧れましたね。。


サラダ場担当の西山さんは25歳。この西山さんをはじめ個性溢れるコックさん達との出会いが、私のこれからの人生に強く影響する事に…。





  

2015年05月31日

ブエノス ディアス【4】〜はじめの一歩

横浜のスペイン料理店ではじめたアルバイトが本格的な料理の世界への最初の一歩でした。


高校卒業し、水産高校での下宿暮らしの少ない荷物を横浜に送り私も3月末には上京。


まずはバイト探さないとなぁ〜と、


アルバイト雑誌を100円で購入。

レストランっぽいところを探し、 、


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

初心者歓迎

*レストラン カサ デ フジモリ*

☎︎045-◯◯◯ー◯◯◯◯

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
何となくピンときたのか、この カサ デ フジモリさんにアルバイトの面接の電話をし、横浜駅西口の地下街のお店に面接に伺いました。。



お店に入ると

『おはよー!』ってホールスタッフが明るくが挨拶してくれます♫

…店内はやや薄暗く、でもオレンジ色のキャンドルで照らされスペインの家庭的な暖かい雰囲気。。

『おはようございます〜!』私も元気な挨拶を返し、出会った瞬間からラテンの陽気とちょっと大人な、今で言うスペインバルの雰囲気が気に入りました。

遥々九州大分から出て来た何者でもない田舎者の少年を、受け入れてくれた事がうれしかったですね。

まだホームシックとかでは無かったですが、、正直誰かと話し、安心したかったんだと思いますね。



面接はトントン拍子に進み、私も今の上京してきた状況を説明し、じゃあキッチンの皿洗いからスタートして見ようかと決まりました。


平日は調理師学校が終わって夕方5時から閉店の9時まで。土日はランチタイム前から閉店まで。休みは週に1回。


最後に厨房に挨拶すると、、


『ブエノス ディアスー!』と声をかけられました!!



  

2015年05月24日

修業のはじまり 【3】〜調理学校編

調理師学校の仲間たち


横浜の調理学校では、殆どの生徒が神奈川出身。神奈川県外からの入学生は、福島、茨城、静岡から一人づつと、私が九州から初の入学生でした。

九州から来たって事で、クラスの男子からは親切にしてもらいました。自分では訛ってるつもりはないんですが、、私の喋り方をよくマネされてました(笑)

でも真似されてそんな嫌でも無かったし、今で言う“イジメ”みたいな空気はなかったですね。

家財道具も無い私のアパートに、扇風機を貰ったり、夏はよくドライブに鎌倉まで海水浴に連れてってくれたりよく遊びに誘ってもらいました。

特に仲が良かったのが、パブや居酒屋でバイトしてたムードメーカー的な森田君、焼肉屋でバイトしてた横浜高校野球部出身の吉田君、同じ相鉄線を利用してた安藤君の3名でしたね。
本当に彼等を含め専門学校の級友たちは温かく迎え入れてくれ、横浜の事をいろいろ教えてくれました。

バイトと調理学校の掛け持ち組の私たちは、、バイトがメインの生活になっちゃてましたね。たまに専門学校で会うと、『俺は肉を切らせてもらえるようになったぜ!』とか、『昨日は予約一杯で深夜まで働いたんだよ』『うちのチーフはスゲェ仕事早えんだぁ〜』って、バイト談義に盛り上がりました。。



  

2015年05月23日

修業のはじまり【2】〜調理学校編

久しぶりの更新でしたが、読んで頂いた方が予想より多く誠に有難うございます。


今さら修業時代を振り返り、昔は良かったなぁって感傷にひたる積もりはなく、、。

ただ、シェトミタカを開店したのが28歳の時でして、もう47歳になろうとして今、昔の修業時代の記憶を忘れかけているンですよね。


人生この辺で1度、半生を振り返り記録にとどめてみようかなと。。


* * *


晴れて横浜の調理師学校に入学したんですが、、
実を言うとそれまで料理らしい料理を作った経験なし!


水産高校 卒なので船に乗って遠洋航海に数ヶ月ほど実習訓練があったんですが、その時に交代制でコック長の作る料理の準備の手伝い程度。

調理師学校の最初の調理実習で、林檎の皮も満足に剥けず、

『調理師学校に何しに来たんだー!!』って先生に怒られましたね。


でも変な自信だけはある年頃なんですよね、覚えるのは人より遅いけど、覚えたら並み以上になる自信がね。


スペイン料理のお店でバイトを始めたお陰で、少しづつ料理の世界に慣れ、調理師学校では怒られる事もあまり無くなりましたね。


桂剥きの練習や鯵の三枚おろしの練習をアパートで1人でよくやりましたが、スペイン料理店でバイトする方がどんどん楽しくなり始めちゃったんですよね。。


調理師学校時代に取得





  

2015年05月21日

修業のはじまり 【1】


シェトミタカも開店してまもなく20年


修業時代を振り返って見ると、、


修業をスタートしたのは高校を卒業し、横浜の調理師学校へ入学した時から始まりました。


調理師学校に入学する際、同時にアルバイトもはじめました、横浜駅西口のスペイン料理でしたね。


今では考えれないですが、テレビも電話も無いアパートから体ひとつのスタートでした。でもうれしかったですね、私は6人兄弟の末っ子で自分ひとりの空間は初めてでしたから…。


スペイン料理店のアルバイトは、こちらも初体験ばかりでした。スペイン料理にニンニクは必需品なんですが、ニンニクや玉葱の皮むきは今でもスピード速いですよ!