2015年10月03日
フランス菓子との出会い【58】
パテスリー銀座レカンで働き出して、、朝は9時前に銀座のお店に着くように、横浜石川町駅には8時前の電車に乗るようになりました。
8時前の京浜東北線の電車は通勤ラッシュのピーク。石川町駅周辺には女子校も多く、その流れに巻き込まれると大変な事に!もう身動きとれません。
何度か8時頃の電車を利用して苦労したので、15分くらい早めの2、3本早い電車に乗るように心がけるようになりました。
社員のギャルソンの勤務時間は、朝は9時から夜はお店が閉店する午後9時まででした。途中休憩が1時間程有りました。朝は自主的に1時間位早く出社したりも慣れる為にしましたね。
仕事に慣れてくると、夕方くらいに早く上がれたり、、逆に午後9時閉店してから片ずけたり、レジを閉めて売り上げを計算して夜間金庫まで入金に行ったり、、全ての業務を終わるまでやる日も有り、、。場所柄銀座ですから10時過ぎの退社の頃には横にある《白いバラ》のキャバレーのホステスさん達の出勤時間やお見送りと遭遇し、顔見知りになり挨拶を交わすようになったり、、。
一般的にみたら長時間労働の職場ですね。時代が時代ならブラック企業だったのかも知れません。
しかし、
ここで誤解の無いようにと思い書いておきたいのです。
ギャルソンの社員私達は、皆んな厨房の中で働く菓子職人をめざしての入社なんですよね。
さらに言えば菓子職人に成り、ゆくゆくは自分の店を持ち独立したかったり、或いは一流のシェフや製菓長をめざすような人達が全国から集まっている集団です。
厳しいのは承知の上で、人生の全てをかけて入社していると言っても過言では有りませんでした。
ここ最近はちょっと流行りのパティシエと言う職業になってしまった感がありますが、、昔は菓子職人、まさに職人でした。その職を司る人間になるにはやはり厳しい修業が必要ではないか。と、個人的には思います。
菓子職人としての技術を身につけ、ゆくゆくはお店も持ちたいのですから、、登竜門的なギャルソンの仕事や店舗運営、日々の業務で根をあげていると、、
「こいつは厨房にはまだまだ入れれないな…」とマネージャークラスが判断する訳なんですよね。
パテスリー銀座レカンの日常は、とにかく忙しく、超繁盛のパテスリーでした。サロン ド テ は常にウェイティング!
1階のケーキ売り場のブティックからサロンの地下1階に降りる螺旋階段には毎日長蛇の列!! タレントさんや有名人の来店も多く、、サロンは1日に何回転も客が入れ替わり、、お客様が帰ったらテーブルを片付け次を入れ、また次を片付けたら新しい客を入れてオーダーを取ってサービスする、、あっと言う間に1日終わる様な日々でした。毎日レジを締めることも有りましたが、あの頃1日のサロンの売り上げが、、『今日は50万超えた〜!』とギャルソンやマネージャーと話して喜んでいましたね。上のブティックと合わせると100万以上の売り上げの日もあったような。。今のスイーツブームなどはまだまだ始まってない平成元年の頃でしたから、、衝撃的でしたね。
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※パテスリードレカンは2008年頃に閉店。
フランス料理店な銀座レカンとパティスリード レカンは姉妹店ですが、経営はまったく別の組織でした。フランス料理店の銀座レカンや系列のレカングループは現在も営業しています。
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そんな凄まじい忙しさの中で唯一の楽しみが、、
ケーキの製造上発生するケーキの切れ端や破損したケーキ、販売期限の過ぎたケーキの試食でした!
はじめて食べた銀座レカンのケーキ達は、、衝撃的な美味さでした!!
こ、これがフランス菓子か、、!?と唸りました。

Posted by トミ at 00:26│Comments(0)
│⑥銀座(修業時代)編
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