2015年06月15日
いざ新横浜 【14】〜弱肉強食
就職試験当日、
受験先の新横浜国際ホテルは新横浜駅の地下鉄の駅を出て数分でした。
受験生には同じ調理学校の生徒も多数いて、たまたま電車の中で一緒になり会場のホテルへと皆で向かったと思います。
新横国際の試験には同じクラスは児玉君も参加していました。彼からは中古のスクーターを通勤用に格安で譲って貰ったりした気心の知れたクラスメート。吉田君と一緒で、有名校で元高校生球児。
みんな就職試験ではライバルですが、この時点ではまだ天国と地獄?いや就職試験の合否の厳しさにピンときてなかったのですね。。
試験のことに関しては正直まったく覚えてないんですよね(汗)緊張してた訳じゃないんですが。
筆記試験も面接もまぁまぁの手応えを感じました。なんとなく受かるんじゃないかな。と思ったんですよ。

試験結果は封書でアパートに届きました。青い封筒だったのは鮮明に覚えています。
その頃には蒲江の実家に新横浜国際ホテルを受験し、そこに就職するつもりだと言う手紙も出してました。

受験先の新横浜国際ホテルは新横浜駅の地下鉄の駅を出て数分でした。
受験生には同じ調理学校の生徒も多数いて、たまたま電車の中で一緒になり会場のホテルへと皆で向かったと思います。
新横国際の試験には同じクラスは児玉君も参加していました。彼からは中古のスクーターを通勤用に格安で譲って貰ったりした気心の知れたクラスメート。吉田君と一緒で、有名校で元高校生球児。
みんな就職試験ではライバルですが、この時点ではまだ天国と地獄?いや就職試験の合否の厳しさにピンときてなかったのですね。。
試験のことに関しては正直まったく覚えてないんですよね(汗)緊張してた訳じゃないんですが。
筆記試験も面接もまぁまぁの手応えを感じました。なんとなく受かるんじゃないかな。と思ったんですよ。

試験結果は封書でアパートに届きました。青い封筒だったのは鮮明に覚えています。
その頃には蒲江の実家に新横浜国際ホテルを受験し、そこに就職するつもりだと言う手紙も出してました。

Posted by トミ at 22:27│Comments(0)
│② 横浜(修業時代)編
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